トーマス・リング(Thomas Ring、1892年11月28日〜1983年8月24日)は、ドイツの画家・詩人・思想家で、20世紀のドイツ語圏を代表する占星術家です。ニュルンベルク近郊に生まれ、オーストリアのシェルディングで亡くなりました。
占星術では「改訂占星術(Revidierte Astrologie)」の創始者とされ、全4巻の主著『Astrologische Menschenkunde(占星術的人間学)』(1956〜1973年)で知られます。ウィーン経済会議所の占星術の解説ページは、リングをドイツ語圏における現代占星術の先駆者と位置づけています。スイスの占星術サービス、アストロディーンストを創業したアロイス・トラインドルが、1983年にリングが亡くなるまでの数年間師事した相手でもあります。
一方で、芸術の分野では、ベルリンの前衛芸術誌『デア・シュトゥルム(Der Sturm)』の周辺で詩と絵画を発表した画家として記録されています。
リングの生涯は、ドイツの激動の20世紀とほぼ重なります。発明家肌の父のもとで幼いころに各地を転々とし、1905年に一家はベルリンに落ち着きました。第一次世界大戦には1914年に志願して従軍し、負傷したのち、『デア・シュトゥルム』の周辺にいた画家ゲオルク・ムッへや編集者ヘルヴァルト・ヴァルデンらと知り合います。英国の捕虜収容所で絵を描き始め、1919年に解放されました。
1920年代のベルリンでは、画家・詩人として活動しながら占星術を学び、自然科学や哲学への関心と結びつけていきました。アインシュタインや哲学者ニコライ・ハルトマンの講義を聴き、生物学者ラウール・フランセ、ハンス・ドリーシュ、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの著作から大きな影響を受けたとされます。最初の占星術書『Die Überwindung des Schicksals durch Astrologie(占星術による運命の克服)』は1925年に出ました。政治的には1927年にドイツ共産党に入党し、のちに距離を置きますが、ナチスの政権掌握を前にした1932年に家族とともにオーストリアへ移りました。
オーストリアではグラーツに住み、1930年代末にはドイツの出版社 DVA から占星術書を出していますが、1942年に出版を禁じられました。1943〜1944年には、超心理学者ハンス・ベンダーとともにシュトラスブルク大学で研究に携わります。戦後は捕虜収容所を経て、1952〜1962年にベンダーが用意したシュヴァルツヴァルトの家に住み、その後ハイルブロン近郊のシュテッテンフェルス城に移りました。
リングの改訂占星術の出発点は、決定論の否定です。アストロディーンストの紹介によると、リングは星が機械的に作用するという考えを退け、あらゆる形の決定論に反対しました。そのうえで、ホロスコープから読み取れることには限界があると明言し、性別、発達の段階や知性の水準、死はホロスコープから原理的に読み取れないとしました。
ウィーン経済会議所の解説は、リングが1956年の『Astrologische Menschenkunde』で占星術の解釈の限界を自覚させ、「良い」「悪い」という評価から離れて、その人の発達の段階を考慮する解釈を唱えたと説明しています。同じ配置でも、それを生きる人の成熟の度合いによって現れ方が異なると考えるわけです。
リングは占星術を、記号を読み解く技術にとどまらず、自然や宇宙の法則性についての学問としてとらえていました。ゲルハルト・マイヤーの書評によると、その適用範囲は人間だけでなく、無機物から精神に至るすべての層に及ぶものと考えられていました。また、
天体・
サイン・
ハウスのそれぞれに簡潔な用語を与え、解釈の言葉を整理したことも功績として挙げられています。
研究の協力者として重要だったのが、最初の妻ゲルトルート・リングです。マイヤーの書評は、彼女が哲学的な議論を磨く批判者であり、自身の占星術の研究で実証的な材料も提供したと記しています。
主著『Astrologische Menschenkunde』は全4巻です。第1巻『Kräfte und Kräftebeziehungen(力と力の関係)』は1956年にチューリヒの Rascher 社から初版が出ました。第2巻『Ausdruck und Richtung der Kräfte(力の表現と方向)』は1959年、第3巻『Kombinationslehre(組み合わせ論)』は1969年(初版は同じく Rascher 社)、第4巻『Das lebende Modell(生きたモデル)』は1973年の刊行です。のちに全4巻がフライブルクの Hermann Bauer 社から刊行されました。現在は出版社の許可を得て、アストロディーンストのサイトで全4巻の本文が PDF で無料公開されています。
それ以前の著作には、1925年の『Die Überwindung des Schicksals durch Astrologie』や、DVA から出た『Das Lebewesen im Rhythmus des Weltraums(宇宙のリズムの中の生物)』があります。没後には『Strukturbilder genialer Menschen』(1992年)、『Symbolik』(2000年)などがまとめられました。1974年にコペンハーゲンで行ったセミナーの記録も、アストロディーンストで読むことができます。
リングの影響を語るうえで欠かせないのがハンス・ベンダーです。マイヤーの書評によると、ベンダーはベルリンでリングから1925年の本を贈られており、のちにリングへの追悼文で、リングの占星術分析の確かさが自分を境界領域の研究へ向かわせた最も強い動機の一つだったと書いています。シュトラスブルク大学では物理学者カール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカーもリングを評価するようになったとされます。
占星術の後継者としては、
アロイス・トラインドルが挙げられます。トラインドルは1979年に占星術と出会ったのち、リングが亡くなる1983年まで数年間師事しました。現在、トラインドルの率いるアストロディーンストのサイトでリングの著作が公開されています。1978年には友人たちによってトーマス・リング財団が作られ、2017年まで年報を発行したのち、2021年末に解散しました。2021年には歴史家エルマー・シュープルによる伝記『Ich denke in Farbe, Form und Klang』も出ています。
リングを知ると、心理学と結びついた英語圏の流れとは別に、ドイツ語圏でも占星術を決定論から切り離し、人の成長の段階に応じて読む考え方が独自に育っていたことがわかります。20世紀の占星術の大きな流れは
近代西洋占星術の歴史や
心理占星術の歴史で確認できます。
原典はドイツ語ですが、アストロディーンストのリングのページで『Astrologische Menschenkunde』全4巻とセミナー記録を読むことができます。弟子筋の人物関係は
現代占星術家マップにもまとめています。