ドリアン・ギーゼラー・グリーンバウム(Dorian Gieseler Greenbaum)は、古代地中海世界の占星術を、歴史・理論・実践の三つの面から研究しているアメリカの占星術家・研究者です。専門はヘレニズム期・プトレマイオス朝期から古代末期にかけての占星術で、とりわけ
ロットの歴史と教義について多くの講演と執筆を重ねてきました。
学問上の出発点は古典学とエジプト学です。ラトガース大学のダグラス・カレッジで古典学を専攻して優等で学士号を得たのち、コロンビア大学でエジプト学の修士号を取得しました(本人はインタビューで1976年と述べています)。その後、2009年にロンドン大学ウォーバーグ研究所で、チャールズ・バーネットの指導のもと博士号(Combined Historical Studies)を取得しています。現在はウェールズ大学トリニティ・セント・デイヴィッドで、文化天文学・占星術修士課程(MA in Cultural Astronomy and Astrology)のチューターを務めています。
占星術そのものは、研究より先に実践として学びました。1986年にマサチューセッツ州へ移ったあと独学で始め、地元の講座でジョセフ・クレインに出会ったことがきっかけで、クレイン夫妻のアストロロジー・インスティテュートで2年間学んでディプロマを取得し、のちに同所で教えるようになりました。占星術家としてチャートを読む経験と、ギリシア語・ラテン語の原典を読む研究者としての訓練をあわせ持つことが、グリーンバウムの仕事の大きな特徴です。
グリーンバウムが古代の占星術に本格的に向かったのは、1990年代の古典占星術の復興期です。本人によれば、1994年に
ロバート・ハンドがプロジェクト・ハインドサイトを紹介した週末講座に参加したことが、伝統的な技法に入るきっかけになりました。プロジェクト・ハインドサイトはギリシア語・ラテン語の占星術文献を英訳していく企画で、グリーンバウムはその集会(コンクレーヴ)にも二度参加しています。
1998年11月にはワシントンDCで開かれたARHATの大会で、ギリシア語の翻訳をテーマに初めての講演を行いました。ARHAT(Archive for the Retrieval of Historical Astrological Texts)はハンドが1997年に設立した、歴史的な占星術文献の翻訳を出版する組織で、グリーンバウムの最初の訳書もここから刊行されます。実践家の世界で始まった原典翻訳の流れに加わったあと、彼女はウォーバーグ研究所での博士課程へ進み、大学の研究としての占星術史の場にも足場を移しました。実践家による翻訳運動と、学術的な占星術史研究の両方を経験してきた世代のひとりといえます。
最初の大きな仕事は、ハンドの依頼で手がけた
パウルス・アレクサンドリヌスの英訳です。2001年にARHATから刊行された『Late Classical Astrology: Paulus Alexandrinus and Olympiodorus』は、パウルスの
入門書に、6世紀のオリュンピオドロスによる注釈と後代の注釈者のスコリア(欄外注)を合わせて訳したものです。
二つめの柱は
四気質(テンペラメント)の研究です。グリーンバウムはシュタイナー教育のヴァルドルフ学校で古典文明やラテン語を教えた経験があり、その現場でシュタイナーの気質論に触れたことがこの研究につながりました。研究はNCGRのレベル4試験のための論文として始まり、2005年に『Temperament: Astrology's Forgotten Key』として刊行されます。同書は、気質の定義と四つの性質・元素の考え方、西洋における気質論の歴史、ヴァルドルフ教育の気質論と出生図の対応を調べた研究、そして現代の実践での使い方という構成をとっています。そのうえで、誕生の季節、アセンダントのサイン、アセンダントの支配星、アセンダントのアルムーテン、月のサイン、月相、月の支配星のサインに点数をつけて気質を割り出す方式を示しました。同書の抜粋によれば、ヴァルドルフ学校での調査では、アセンダントのサイン、月のサイン、誕生の季節がしばしば正しい気質を示しており、彼女はそこから3年をかけて、通例の判断基準を一つずつ検討しながら算定式を組み立てました。またウィリアム・リリーの気質算定法を、リリー自身の例で検討しています。
三つめが博士論文をもとにした『The Daimon in Hellenistic Astrology: Origins and Influence』(ブリル、2016年。叢書 Ancient Magic and Divination 第11巻)です。宗教や哲学の領域で論じられることの多い「ダイモーン」の概念を、紀元前2世紀から紀元7世紀までの占星術のなかで追った研究で、善いダイモーンと善い運の場所、悪いダイモーンの場所、運のロットとダイモーンのロット、エロースと必然のロットなどを章ごとに扱います。プルタルコスと
ウェッティウス・ウァレンス、ポルフュリオス、グノーシス主義やミトラス教まで視野に入れ、占星術は変えられない運命を説くものだという見方に疑問を投げかけています。
訳書『Late Classical Astrology: Paulus Alexandrinus and Olympiodorus, with the Scholia of Later Commentators』(ARHAT、2001年)は、ギリシア語の入門書とその注釈を一冊で読める英訳です。
『Temperament: Astrology's Forgotten Key』(The Wessex Astrologer、2005年)は、気質論の歴史と、出生図から気質を割り出す独自の算定法をまとめた本です。2005年8月にSkyscriptに載った書評では、
ベンジャミン・ダイクスが、珍しい文献の翻訳や数十人の子どもの出生図への適用例を含むことを紹介しています。
『The Daimon in Hellenistic Astrology: Origins and Influence』(ブリル、2016年)は博士論文を本にした学術書です。
編著としては、2007年のウォーバーグ研究所での会議の論文を収めた学術誌 Culture and Cosmos の巻『Winding Courses of the Stars』をチャールズ・バーネットと共編し、2012年のソフィア・センター年次大会の発表をもとにした論集『Astrology in Time and Place: Cross-Cultural Questions in the History of Astrology』(2016年)を
ニコラス・キャンピオンと共編しています。後者は中国・日本・インド・古代近東・古典世界・近世ヨーロッパ・マダガスカル・メソアメリカの占星術を扱っています。
グリーンバウムの仕事は、占星術の実践者と大学の研究者のあいだをつなぐ位置にあります。キャンピオンは学術誌 Bryn Mawr Classical Review の書評で、『The Daimon in Hellenistic Astrology』の著者を、ヘレニズム占星術の歴史家でありながらホロスコープの計算と解釈にも通じた人物として紹介し、その強みが技法上の細かな違いを見分ける点に表れていると述べています。
師弟関係では、
ジョセフ・クレインとジル=ローリー・クレインの夫妻のもとで2年間学んだことをインタビューで語っています。翻訳の仕事はハンドとの協働から始まり、研究者としてはバーネットのもとで学位を取り、キャンピオンとは論集を共編しました。これらの人物の関係は
現代占星術家マップでたどれます。
グリーンバウムの立場で興味深いのは、伝統の技法を深く研究しながら、伝統のほうが優れているという価値判断はしたくないと述べている点です。Skyscript のインタビューでは、現代の占星術家として学んだことをすべて捨てるつもりはないとも語っています。また、占星術の起源は神託や予兆を読む伝統にあるという見方を示しています。古代の文献を学ぶことを、現代の実践を否定するためではなく、自分が使っている概念の由来を知るために役立てる姿勢です。
日本語で読める著作はまだありません。英語で読むなら、技法に関心がある人は『Temperament』から、古代の思想に関心がある人はブリルの『The Daimon in Hellenistic Astrology』から入るのがよいでしょう。後者は大部で高価な学術書なので、まずキャンピオンの書評で論点をつかむ方法もあります。
ヘレニズム占星術やロット、
スピリットのロットの項目とあわせて読むと、ダイモーンが占星術の技法のどこに現れるのかが見えやすくなります。