エベニーザー・シブリー(Ebenezer Sibly、1751年〜1799年ごろ)は、18世紀後半のイングランドで活動した医師・占星術家・著述家です。出生地は資料により異なり、ロンドンのクリップルゲート教区とするものと、本人の著書に記された出生図にもとづきブリストルとするものがあります。外科をロンドンで学んだのち、1792年4月20日にアバディーンのキングス・カレッジで医学博士(M.D.)の学位を得ました。没年は資料により幅があり、1799年ごろとするものと、旧 DNB のように「1800年初めにロンドンで没した」とするものが見られます。
シブリーの名が占星術史に残る理由は、1784年から刊行を始めた大部の書物『A New and Complete Illustration of the Celestial Science of Astrology』にあります。この本は、17世紀の
ウィリアム・リリーらの時代から数十年の空白をはさんで現れた、英語圏では久しぶりの網羅的な占星術の教科書でした。ネイタル(出生図)とホラリー、そして国家や天候を扱う
マンデーン占星術までを一冊の体系にまとめ、19世紀の英国で占星術の出版が息を吹き返す前段をつくった人物として位置づけられています。
シブリーが生きた18世紀後半は、占星術にとって逆風の時代でした。
近代の西洋占星術のページでも述べているとおり、占星術は17世紀半ば以降、自然科学の発展のなかで学問の世界から切り離され、啓蒙期には知識人から退けられる存在になっていました。大学や宮廷で占星術が権威を持っていたルネサンス期の状況は、この時代にはすでに過去のものでした。
しかし、書物と読者の世界では事情が違いました。暦本や実用書を通じて星の知識に触れる読者層は絶えることなく、そこへ向けて本格的な教科書を用意しようとする動きが1780年代のロンドンで生まれます。シブリーの仕事はその流れの中心にありました。彼が刊行を始めた1784年は、天王星が発見された1781年からわずか3年後にあたり、天文学の側でも太陽系の像が更新されつつあった時期です。
シブリーは1785年ごろブリストルで占星術家として活動し、1788年までにロンドンへ移りました。1789年にはロッジ・オブ・ジョッパ第188番の初代マスターとなり、フリーメイソンリーの活動にも加わっています。兄弟のマノア・シブリー(Manoah Sibly、1757年〜1840年)は言語学者でスウェーデンボルグ派の説教者として知られ、著作の販売にも名を連ねました。医学・占星術・秘教的な結社が一人の人物のうちで隣り合っていた点に、この時代の知の配置があらわれています。
シブリーの功績は、大きく二つに分けて考えられます。第一に、途切れかけていた占星術の技法を、実例と図版つきの一冊の体系として編みなおしたことです。判断の手順を初学者が追える形で示すという発想は、
ウィリアム・リリーの
クリスチャン・アストロロジー(1647年)が英語で確立したものでしたが、シブリーはそれを18世紀末の読者に向けて作り直しました。ホラリーやエレクション、入宮図、ソーラーリターンといった主題が一書に収められています。
第二に、占星術を自然哲学の一部として弁護しようとした点です。医学史家アレン・G・デビュースは、シブリーがパラケルスス派やヘルメス思想の説く大宇宙と小宇宙の照応を文字どおり真実と考え、長く顧みられなかった占星術・錬金術・自然魔術を再検討すべきだと主張した点を論じています。彼にとって星と身体と植物は一つの秩序でつながっており、この姿勢は同じイングランドの
ニコラス・カルペパーが示した
医療占星術の系譜と重なります。シブリーは1789年から1790年にかけてカルペパーの『English Physician and Complete Herbal』の新版を編集して図版を付し、1794年ごろに出た『A Key to Physic, and the Occult Sciences』(扉に年記がなく、1792年とする資料もあります)は、カルペパーの家庭医学書の補遺として構成されていました。
なお、彼の著作には魔術の手順や霊界についての記述も含まれており、その部分は16世紀から17世紀の先行文献に由来するものが多いと指摘されています。技法の独創よりも、散在していた知識を集めて読める形に整えたことが、シブリーの仕事の性格でした。
主著は『A New and Complete Illustration of the Celestial Science of Astrology』です。全体は4部からなり、1784年から1788年にかけて部ごとに刊行されました(Debus の調査では第1部と第2部が1784年、第3部が1787年、第4部が1788年。現存する初版合本には第1部の扉が1785年と記されたものもあります)。フォリオ判で本文はおよそ1126ページ、銅版画29点を伴う大著で、ロンドンの書肆から分売と合本の双方の形で出ています。後年には『A New and Complete Illustration of the Occult Sciences』の題でも版を重ね、没後の1806年版、1817年版、さらに1826年の刷りまでが確認されています。事典によって書名が違って見えるのは、この改題の事情によります。
第3部(1787年)はマンデーン占星術と気象占星術を中心に据えており、そのなかに「America Independance」と題した図が掲げられています。アメリカ合衆国の成立を主題とする図がこの部に収められたという書誌上の事実は、後世の研究者がくり返し参照してきました。ただしこの図の数値や設定については異論が多く、現在も議論の対象となっています。本事典ではこの図の内容そのものの解釈は扱いません。
このほか、1794年ごろの『A Key to Physic, and the Occult Sciences』(1792年とする資料もあります)、1794年から刊行が始まった『An Universal System of Natural History』が知られています。前者は医学と秘教的な自然観を接続しようとした書物で、シブリーの著述活動が占星術だけに閉じていなかったことを示しています。
シブリーの著作は、刊行後も19世紀の初めまで版を重ね続けました。英語で書かれた包括的な教科書がほかに乏しかったため、この時期に占星術を独学しようとする者にとって、事実上の入口となったからです。19世紀の英国占星術の復興を語るとき、その手前にシブリーの本が置かれるのはこのためです。
とりわけ具体的な影響として挙げられるのが、19世紀前半に活動した占星術家
ロバート・クロス・スミス(Robert Cross Smith、1795年〜1832年、初代「ラファエル」の筆名で知られる)です。スミスは職業的な知識をとくにシブリーの著作から得たとされ、暦(エフェメリス)と年刊の出版を通じて占星術を一般の読者へ広げました。シブリーが用意した教科書が、次の世代の大衆向け出版につながったという流れです。
さらに時代を下ると、19世紀末から20世紀初頭にかけて
アラン・レオ(1860年〜1917年)が神智学の流れのなかで占星術を大きく普及させ、占星術は性格と成長を語る方向へ軸足を移していきます。シブリーの体系は予測と自然哲学に軸のある古い型のものであり、レオ以降の近代占星術とは前提が異なります。それでも、途切れかけた実践を書物の形で次の世紀へ渡した中継点として、この二つの時代のあいだにシブリーが立っていることは確かです。
現代の実践者がシブリーを参照する意義は、技法そのものよりも、占星術がどのように受け継がれたかという問いにあります。占星術は連続した一本の線ではなく、衰退と再興をくり返してきました。18世紀という最も逆風の強い時期に、一人の医師が大部の教科書を編んだという事実は、その断続の実態を具体的に伝えます。
内容の面では、彼の書物は7天体を前提とする古い型の実践を色濃く残しており、
ホラリーや
エレクショナル、マンデーンといった、現在の古典派が再評価している分野を広く扱っています。同時に、魔術や霊界の記述を含む点で、後の時代の占星術書とは性格が異なります。18世紀末の英語圏で「占星術の本」がどのような範囲を指していたかを知る資料として読むのが適切です。
国家の成立を主題とする図を著書に掲げたという点は、マンデーン占星術の実践史のうえで参照されることがあります。ただし前述のとおり、その図の数値と設定には異論があり、後世の実践者がどのような資料を土台にしてきたかを検討する例としても扱われています。
シブリーを知る意義は、占星術の歴史に空白と再開があると分かる点にあります。
古典占星術の系譜をたどると、プトレマイオスから中世イスラム期を経てリリーまでの流れは比較的つかみやすいのですが、そこから近代までのあいだに大きな断絶があります。シブリーはその断絶のただ中で本を書いた人物であり、彼の位置を知ることで、系譜の見え方が変わります。
学び方としては、まず時代の順に置いてみるのが分かりやすい方法です。17世紀の
ウィリアム・リリーと
ニコラス・カルペパー、同じ世紀の
ヨハネス・ケプラーを先に押さえ、次に18世紀末のシブリー、続いて19世紀のラファエル、そして
アラン・レオと並べると、英語圏の占星術が誰の手を経て現在に届いたかが見えてきます。原典に触れたい場合は、彼の著作の複数の版がデジタル化されて公開されています。
歴史上の書物をそのまま現代の判断に用いることはしません。占星術は結果を保証するものではなく、自分と時代を見つめ直すための知の地図として取り入れる価値があります。シブリーの仕事は、その地図がどのように書き継がれてきたかを教えてくれます。
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