フランソワーズ・ゴークラン(Françoise Gauquelin、1929年6月19日〜2007年8月10日)は、
ミシェル・ゴークランとともに出生データの大規模な統計研究を行ったフランス語圏の研究者です。スイスのヌーシャテルでマリー=フランソワーズ・シュナイダーとして生まれ、後年はフランソワーズ・シュナイダー=ゴークランの名も用いました。フランスのヨンヌ県ジョワニーで亡くなっています。
ゴークランの研究は、ミシェルの名前で語られることが多いものの、出生データの収集や、惑星の位置を区分ごとに割り出す計算など、多くの作業を彼女が担いました。ミシェルとの離別後も単独で研究を続け、研究誌『Astro-Psychological Problems』を1982年から1995年まで主宰して、占星術の主張を実証的に検証する研究の発表の場をつくりました。データと検証方法を重んじた研究者として知られます。
ジュネーヴ大学で教育心理学の課程を修了し、ジャン・ピアジェの指導を受けました。その後パリのソルボンヌで心理技術学と精神病理学を学び、1960年には出生時刻を扱った論文「L'heure de la naissance」で統計学の課程を修了しています。博士号は取得していません。
ミシェルとは1952年に学生どうしとして知り合い、1954年に結婚しました。二人の共同研究は、ミシェルが主導し、フランソワーズが未完成の部分を整理して仕上げるという形で始まったと、彼女自身が経歴に記しています。1982年に別居し、1985年に離婚しました。
彼女が研究を続けた1970年代から1990年代は、ゴークランの報告した「火星効果」をめぐって、ベルギーのコミテ・パラ、米国のCSICOP(超常現象の科学的調査委員会)、フランスの懐疑論者団体などが追試と論争を重ねた時期です。一方で英国では、1979年に占星術の研究会議が始まり、1981年に研究誌『Correlation』が創刊されるなど、占星術の側でも実証研究の場が整っていきました。
第一の功績は、出生データの収集です。1956年から1960年にかけて、フランスでの結果を他国で再現するため、ヨーロッパの他の国でもデータを集めることを提案し、夏の休暇にイタリア、ドイツ、ベルギー、オランダの町を回りました。ミシェルが図書館で各国の著名な職業人の名簿を書き写し、フランソワーズが戸籍役場で出生時刻の記録を閲覧させてもらうという分担でした。1960年から1964年にかけては、親子のあいだで惑星の位置が似るかを調べる遺伝研究のデータの多くを彼女が集めています。1957年の内部刊行物『Méthodes pour étudier la répartition des astres dans le mouvement diurne』では、惑星が日周運動のどの区分(セクター)にあるかを扱う第2部を執筆し、1970〜1972年には1949年以来集めた出生データと惑星データの資料集を共著でまとめました。ゴークランの技術的な刊行物30点のうち、ミシェル単独が7点、フランソワーズ単独が1点で、残りは共著です。
ミシェルとの共同研究からは、出生時の惑星の位置と職業上の成功との相関に性格特性が関わっているという仮説が生まれ、フランソワーズはこの性格特性の仮説を独自に追いました。1980年に『Traditional Symbolism in Astrology and the Character Traits Method』(54ページ)をまとめ、1982年にその発展である『Psychology of the Planets』を出しています。この仮説については、心理学者ズイトベルト・エルテルが1990年に裏づけが見つからないと報告し、彼女は1995年にも仮説を擁護しましたが、新たな結果は示されていません。
ほかにも、ミシェルとエルテルが除外していた
アセンダントや
ミッドヘヴンへのアスペクトを分析に含める試み、ドイツの占星術家を対象としたマッチングテスト(出生図と人物を対応づけられるかを調べる検証)を行いました。マッチングテストの結果を、彼女自身は「まったく期待はずれ」と述べています。1989年にはノジャンで2年かけて1,721組の親子の比較データを新たに集めましたが、期待された方向で有意な相関を示したのは月だけでした。
CSICOPとの論争では、1979年に米国の競技選手を対象にしたCSICOPの追試が否定的な結果を出した際、ミシェルとの連名で反論を『Skeptical Inquirer』に寄せています。
単著は『Psychology of the Planets』(ACS、1982年、110ページ。ミシェルが序文を寄せています)と、『Problèmes de l'heure résolus pour le monde entier』(1987年、改訂版1991年、360ページ)です。後者は200以上の国と地域について、時刻制度の変更をまとめた資料です。
研究誌『Astro-Psychological Problems』は1982年12月に創刊され、1985年に『The Schneider-Gauquelin Research Journal』の名を冠するようになりました。1989年から1991年にかけては米国の占星術団体NCGRの機関誌と交互に刊行され、その後フランスに戻って元の形で続けました。1995年3月の号を最後に、体調の悪化で刊行を終えています。全30号に、60本近い実証研究が載りました。1993年末まで手動のタイプライターで自ら版を作っていたといいます。
マーク・ポッテンジャー編『Astrological Research Methods』(ISAR、1995年)には、彼女の論文17本の要約が収められています。
心理学者ハンス・アイゼンクを中心とする研究セミナーが1986年に米カリフォルニア州ロングビーチで開かれた後、占星術の客観的研究委員会(CORA)が結成され、彼女はその初代書記になりました。1991年にはフランスの研究者シュゼル・フュゾー=ブレシュらとRAMSという研究団体を共同で立ち上げましたが、まもなく離れています。最後の講演は1996年11月のロンドンでの研究会議で、1997年からはジョワニーの施設で暮らしました。
ミシェルは1991年に亡くなり、彼女は翌1992年3月の『Astro-Psychological Problems』で追悼の文章を書いています。2007年の死去の際には、エルテルと
ジェフリー・ディーンが『Correlation』に追悼文を寄せ、データと検証にこだわった研究者として彼女の仕事を振り返りました。
ゴークランの研究を知るとき、データを集めて検証する作業の多くを担った共同研究者がいたことを押さえておくと、研究の成り立ちが見えやすくなります。火星効果をめぐる議論の全体は
ミシェル・ゴークランのページで、同じ時代に統計で占星術を検討した
ジョン・アディや、出生データの信頼性を格付けした
ロイス・ロッデンとあわせて読むと、20世紀後半の実証研究の流れがつかめます。出生時刻の正確さがなぜ大事なのかは
出生時刻が大切な理由でも解説しています。研究者どうしの関係は
現代占星術家マップで確かめられます。