マーシャアッラーとは
マーシャアッラー(マーシャアッラー・イブン・アサリー、Mashallah ibn Athari)は、おおむね740年頃から815年頃にかけて活動したとされる、ペルシア系ユダヤ人の占星術家・天文学者・数学者です。出身はホラーサーン地方とされ、バスラ(現在のイラク)に生まれたと伝えられます。アッバース朝のカリフ、アル=マンスールからアル=マアムーンの治世にかけて宮廷で活動し、イスラム黄金期初期のバグダードを代表する占星術家の一人として知られます。ラテン語圏では「メサハラ(Messahala)」の名で伝わりました。
マーシャアッラーは単なる宮廷の技術者ではなく、ペルシア・シリア・ギリシアに由来する多様な知識の伝達者でもありました。ヘレニズム期の占星術理論と中東各地の天文伝統を吸収しつつ、アッバース朝という新しい知的拠点のなかでその知識を整理・継承した点が、後世から見た彼の重要な貢献のひとつです。出生・世界史的な事件の解釈・天文器具・宇宙論と、扱った主題は非常に幅広く、初期イスラム占星術を代表する人物のひとりとして位置づけられています。
マーシャアッラーが生きた時代
マーシャアッラーが活動した8世紀から9世紀初頭は、イスラム世界において学術的な大変容が進んでいた時代です。アッバース朝はウマイヤ朝を倒して成立し、バグダードを762年に新都として建設しました。この王朝はギリシア語・ペルシア語などの文献をアラビア語へ翻訳する事業を積極的に推進しており、科学・哲学・医学・天文学・占星術の各分野にわたる膨大な知識がアラビア語文化圏に取り込まれていきました。
この時代のバグダード宮廷は、ギリシア由来の占星術理論を受け継ぐ学者たちと、ペルシアやインドの天文伝統を持ち込んだ人々が交わる場所でした。ホロスコープを用いた出生占星術、重要な時機を選ぶエレクション(吉日選定)、世界の動向を星から読もうとするムンデン占星術(世俗占星術)が、それぞれ理論化・実用化されていきます。宮廷占星術家は、政治的な決定にも助言を求められる存在であり、マーシャアッラーはまさにそのような役割を担った人物の一人でした。
古典派占星術の系譜という視点でこの時代を見ると、ヘレニズム期(紀元前3世紀〜紀元後3世紀ごろ)の遺産をイスラム世界が受け継ぎ、さらに発展させた「中継点」として機能した時代にあたります。
古典占星術の系譜では、この3時代の流れが概観されています。マーシャアッラーはその中継点の最も早い時期に位置する人物であり、それゆえに中世イスラム占星術の「初期」を知る際に参照される存在になっています。
功績と理論
マーシャアッラーの功績としてとくに名高いのが、762年のバグダード建都への関与です。彼は若いころ、ペルシアの占星術家ナウバフトを中心とする占星術家集団に加わり、新都を開くのにふさわしい時を選ぶための選日天宮図(エレクションのホロスコープ)の選定に携わったと伝えられています。さらに、天文観測のための設備づくりにも関わったとされます。建都という国家事業に星の知識が動員された、この時代の占星術の社会的な役割を象徴するエピソードです。
彼の理論的な関心は出生占星術だけにとどまらず、世俗的な事件の占星術的解釈(ムンデン占星術)にも向けられていました。とくに惑星の会合(コンジャンクション)を世界史的事件や宗教・王朝の興亡と結びつける論考は、後世の占星術家にとって重要な参照点となりました。世界の動向を「天体のリズム」から読もうとするこのアプローチは、後に
アブー・マーシャルらによってより大規模に発展させられていきます。
アストロラーベ(天文観測器具)に関する理論的な著述も残しており、著作には出生・会合(コンジャンクション)・アストロラーベ・宇宙論など多岐にわたる主題が含まれています。ペルシア・シリア・ギリシア由来の知識を次世代に伝えた点でも重視されています。
代表的な著作
書誌学者イブン・アル=ナディームは、マーシャアッラーに帰される著作として約21点の題名を伝えており、その多くが占星術に関するものとされます。なかでも価格の変動を扱った『デ・メルキブス(De mercibus=価格について)』は、アラビア語で現存する最古の科学的著作の一つと評されています。経済事象を天体の運行と結びつけるこの著作は、ムンデン占星術の実践的な一形態として理解することができます。
彼の著作はラテン語圏でも「メサハラ」名で広く読まれ、アストロラーベに関する論考はジェフリー・チョーサーの『アストロラーベ論(1391年)』に大きな影響を与えたとされます。14世紀末のイングランドで書かれたチョーサーの著作に引用されるという事実は、マーシャアッラーの学術的な影響が長期間・広い地域にわたったことを示しています。さらに宇宙論的著作は16世紀にニュルンベルクで印刷されており、中世から近世初期のヨーロッパにまで権威が保たれていたことが分かります。
これらの著作が現代においてどのように評価されているかについては、
古典占星術の系譜が示すように、中世イスラム期の一次資料として位置づけられています。完全な形で現存するテキストの数は限られていますが、ラテン語翻訳を通じて後世の占星術家に読まれ続けた点で、その影響の痕跡をたどることができます。
同時代・後世への影響
マーシャアッラーの活動した8世紀後半のバグダードには、同じく宮廷占星術家として複数の人物が並立していました。ナウバフトを中心とする占星術家集団の一員としてバグダード建都に関わったとされる彼の活動は、当時の宮廷がいかに星の知識を政治的決定に組み込んでいたかを証言しています。
後世への影響という点では、
アブー・マーシャル(アルブマサル、787〜886年ごろ)との関係が注目されます。アブー・マーシャルはマーシャアッラーより少し後の世代に属し、惑星の会合と世界史的事件を結びつけるムンデン占星術の伝統をさらに大規模に発展させた人物です。アブー・マーシャルが著した
占星術大序論は、ヘレニズム哲学とイスラム期の占星術理論を本格的に融合させた大著です。
ラテン語翻訳を通じたヨーロッパへの影響も見逃せません。「メサハラ」名で伝わった著作群は、12〜13世紀の翻訳運動以降に中世ヨーロッパの占星術家たちに読まれました。
グイド・ボナッティの
天文学書のような中世ヨーロッパの集成的な著作には、イスラム期の占星術文献に蓄積された知識が大量に取り込まれており、マーシャアッラーの著作もその時代の流れのなかに位置しています。
さらに遡れば、マーシャアッラーが整理・継承した知識の源流は
ドロテウスや
プトレマイオスといったヘレニズム期の占星術家に行き着きます。こうした系譜の連続性は、
古典占星術の系譜が概説するとおりです。
現代占星術における意義
20世紀後半以降、古典占星術の復興運動が英語圏を中心に広がるなかで、中世イスラム期の占星術文献への関心も高まっています。マーシャアッラーは、ヘレニズム期からヨーロッパ近世に至る伝統の中継点として、この系譜を学ぶ際に参照される人物のひとりです。
現代の古典派研究においては、ホラリー占星術やムンデン占星術の技法の根拠を一次資料に求めようとする実践者が増えています。
クリス・ブレナンの著作
ヘレニスティック占星術が示すように、古典文献を実証的に再評価する動きは続いており、そのなかでマーシャアッラーの著作が果たした中継役の意義も改めて認識されています。
また、経済事象と天体の運行を結びつける彼の著作のアプローチは、現代のムンデン占星術(世界や社会の動向を天体から読む占星術)の実践者にとっても参照に値するものとして扱われています。占星術の歴史的な積み重ねを知ることが、現代の実践を豊かにするという意味で、マーシャアッラーは具体的な参照点となる人物です。
マーシャアッラーを知る意義・学び方
マーシャアッラーを知る意義は、占星術がかつて、バグダードの建都という国家事業に動員されるほど、社会のなかで重んじられた知だったと分かる点にあります。星の知識が時代の中枢で使われた歴史は、占星術の文化的な厚みを物語っています。
彼の存在を通じて見えてくるのは、知識の継承という営みの長さです。ヘレニズム期のギリシア語文献がアラビア語に翻訳されてイスラム世界に受け継がれ、さらに後にラテン語でヨーロッパに渡り、最終的に現代語に翻訳されて現代の実践者が手にする。マーシャアッラーはその長い連鎖の中間に位置しており、彼を起点に時代の前後を見渡すことで、占星術という知の総体が浮かび上がってきます。
学び方の入り口としては、まず
古典占星術の系譜を通じて時代背景と人物の位置づけを把握するのが効果的です。その上で、マーシャアッラーと同時代の占星術家として
アブー・マーシャルを、後のヨーロッパへの受け継ぎとして
グイド・ボナッティや
ウィリアム・リリーを参照すると、知識の流れが立体的に理解できます。また、彼が生きた時代に先行するヘレニズム期の理論を知るためには、
プトレマイオスや
ドロテウスのページも参考になります。
占星術は運命を断定するものではなく、自分を見つめ直すための知の地図として取り入れる価値があります。マーシャアッラーをめぐる歴史的な文脈を知ることは、その地図がどのように描かれ、受け継がれてきたかを理解する助けになるはずです。
無料のホロスコープ計算機で自分のチャートを見る