エレン・ブラック(Ellen Loehr Black、1944年5月30日〜2023年5月10日)は、古代占星術文献の翻訳事業プロジェクト・ハインドサイト(Project Hindsight)を夫の
ロバート・シュミットとともに立ち上げ、その運営と研究を支えたアメリカの人物です。
プロジェクト・ハインドサイトの公式サイトに載る追悼文によると、ブラックはメリーランド州カンバーランドの名家に生まれ育ちました。いくつかの大学を経てアナポリスのセント・ジョンズ・カレッジで学び、シュミットと同じくヤコブ・クラインとトマス・マクドナルドの二人の教師から強い影響を受けたとされます。1971年、二人は同カレッジのグレート・ホールで結婚しました。
クリス・ブレナンは自身の番組で、占星術に先に関心を持ったのはブラックのほうで、シュミットに占星術を真剣に扱うよう勧めたのも彼女だったと紹介しています。
結婚後、夫妻はアナポリスで6年ほど暮らし、1985年に翻訳を刊行するための出版社ゴールデン・ハインド・プレス(The Golden Hind Press)を設立しました。当初は数学・科学・論理学の歴史に関わる著作の翻訳を出し、数学史を扱う雑誌『Hindsight』も発行しています。
1992年、ブラックとシュミットはユナイテッド・アストロロジー・コングレスに参加し、
ロバート・ハンドと
ロバート・ゾラーを交えて、占星術史の文献を翻訳する事業の実現性を話し合いました。これが翌1993年のプロジェクト・ハインドサイトの発足につながります。公式サイトの「Early History」は、シュミット、ブラック、ゾラー、ハンドの4人を共同創設者として挙げています。
公式サイトによると、プロジェクトでのブラックの担当は、図書館での調査と、翻訳の底本となる原典の入手でした。あわせて購読者とのやりとりや日々の事務を引き受け、機材と原典をそろえるための初期資金も出しています。ゴールデン・ハインド・プレスの所有者として、シュミットとともに事業の財政責任を負い、たびたび私財で事業を支えたとされます。
もう一つの大きな役割が、講義と大会の場づくりでした。夫妻は講義の多くを自宅で数日がかりの合宿形式で開き、「コンクレイヴ」と呼ぶ大会も催しています。最初のコンクレイヴは1994年にウェストヴァージニア州バークリー・スプリングスで開かれました。追悼文は、ブラックが催しを企画し、大勢の参加者の食事をまかない、講義と議論にも加わったと記しています。1998年に夫妻はカンバーランドにあるブラックの生家に移り、そこが催しの会場にもなりました。
2007年のコンクレイヴの書き起こしでは、当時カンバーランドに滞在していたゾラーが、ブラックの支えと協力がなければこのプロジェクトは成り立たなかったと述べています。
研究面でも、ブラックはシュミットと並行して調べを進めました。追悼文によると、二人はヘレニズム占星術の体系の創始者をプラトンと同時代の数学者クニドスのエウドクソスとする説に至り、シュミットは2015年の講義録『A Basic Course in Hellenistic Natal Astrology, Part Two: the Eudoxus Files』でその主な論拠を示すとともに、ブラックの調査の一部も公表しました。ブラックはその後も2023年に亡くなるまで研究を続けたとされます。
公式サイトの追悼文には、ブラック名義の単著は挙がっていません。仕事の成果は、夫妻で運営したゴールデン・ハインド・プレスの刊行物(数学史の翻訳、雑誌『Hindsight』、プロジェクト・ハインドサイトの翻訳シリーズ)と、2015年のシュミットの講義録に収められた調査として残っています。追悼文によると、ブラックの調査のうち未公表のものもあり、刊行が予定されています。
プロジェクト・ハインドサイトの翻訳は、原典の入手、資金、購読者とのやりとり、学びの場づくりといった仕事に支えられていました。ブラックの経歴は、1990年代の
ヘレニズム占星術の復興がどのような体制で進んだのかを具体的に教えてくれます。
夫妻の遺した仕事は、現在キャスリン・ヒグソン、テッド・ヒグソン夫妻が引き継いでいます(projecthindsight.net)。翻訳事業の全体像はシュミットとゾラーのページで、同時代の人物との関係は
現代占星術家マップで確かめられます。