パウルス・アレクサンドリヌス(Paulus Alexandrinus)は、4世紀後半のエジプト・アレクサンドリアで活動したギリシア語圏の占星術家です。生没年は伝わっておらず不詳ですが、現存する著作に残された計算例から、およそ378年ごろに活動していたことが確かめられています。
彼の名を今日に伝えているのは、『イサゴーゲー(Eisagogika)』と題された一冊です。ギリシア語の題名は「入門的な事柄」ほどの意味で、本事典では『占星術入門』と表記します。息子クロナモン(Cronamon)に宛てられた版が現存し、これは第2版にあたるとされており、その序文にはそれ以前の版への言及も残されています。
分量は多くありません。しかしそこには、
ヘレニズム占星術が数百年かけて積み上げてきた技法の要点が、教科書の体裁で簡潔に並べられています。理論を新しく打ち立てた人物というより、すでに膨大になっていた知識を初学者に手渡せる形へ整理した人物として、パウルスは記憶されてきました。
パウルスが活動した4世紀後半は、ローマ帝国の重心が東へ移り、コンスタンティノープルが帝国の中心として機能していた時期にあたります。アレクサンドリアは学問の集積地であり続け、天文学と占星術の教育もそこで営まれていました。
占星術の側から見ると、この時代はヘレニズム期の後半にあたります。
ドロテウスが1世紀に韻文で実践技法をまとめ、2世紀には
プトレマイオスが理論的な体系化を試み、同じ2世紀に
ウァレンスが実例を多く含む大部の書を残しています。パウルスはそれらより2世紀から3世紀ほど後の人であり、先行する文献群を読める立場にありました。
実際、彼は自著のなかで典拠とした名前を挙げています。プトレマイオス、アポリナリオス、ラオディキアのアポロニオス、ヘルメス・トリスメギストスに帰される『パナレトス』、そしてエジプトに由来する伝承です。自分の新説を述べるよりも、伝えられてきた説を整理して示す姿勢が、この一覧からもうかがえます。
パウルスの功績は、ヘレニズム占星術の基礎概念を短い章に切り分け、順序立てて示した点にあります。12のサイン、ターム(バウンド)、フェイス、1度ごとの支配であるモノモイリア、三角形(トリゴン)による区分といった、サインと度数に関する枠組みが前半に置かれ、続いてサイン同士の関係、三角・六角・四角・対冲のアスペクト、互いを見ない関係(アバージョン)が扱われます。
昼と夜で天体の働きを分けて考える
セクトの考え方も、この書の早い段階で述べられています。ヘレニズム期の判断の土台にあたる概念が、入門書のなかで明示的に扱われている点は見過ごせません。
もうひとつ広く参照されるのが、
ヘルメス的ロットを扱う章です。『パナレトス』に由来するとされる七つのロットが、それぞれ天体と対応づけられ、算出の手順とともにまとめて示されています。ロットを一覧の形で体系的に提示した古代の文献は多くないため、後世がロットの原形を確認するときの基準のひとつとして扱われてきました。
さらに、年と月と日それぞれの主星を求める章があり、
プロフェクションの手順が具体的に記されています。時期を読むための技法が、入門書の枠内で当然のように解説されているわけです。
代表作にして唯一の現存作である『イサゴーゲー(占星術入門)』は、378年に成立したと考えられています。根拠は本文のなかにあります。どの曜日がどの神に属するかを説明する章に、ディオクレティアヌス紀94年メケイル20日、すなわち西暦378年2月14日にあたる日付を用いた計算例が置かれているためです。著者が読者へ手順を示すために使った実例が、そのまま成立年の手がかりになりました。
構成は入門書らしく、細かい章に分かれています。サインと度数の区分から始まり、五つの惑星が太陽に対して作る位相、留、月と太陽が作る形、月のアプライとセパレート、七つのロット、12の場所(ハウス)の一覧表、太陽の位置の求め方、アセンダントと中天の算出、年と月と日の主星、そして最後に世界の出生図にあたる「宇宙の生成」の章が置かれます。計算の実務と判断の枠組みが、ひとつづきの流れとして並べられている点が特徴です。
タイムロードにあたる時期論の技法が初学者向けの手引きに含まれていることは、当時の実務においてそれが標準的な道具だったことを示しています。
ギリシア語原典の標準的な校訂版は、E. ボエルによる1958年のトイプナー版です。
この書がどれほど権威ある教科書として扱われたかは、後代に残された注釈から知ることができます。564年の5月から7月にかけて、アレクサンドリアでパウルスの『入門』を講じた講義の記録が伝わっているのです。成立からおよそ200年後のことでした。
この講義録の作者については経緯があります。写本のうち後代の一群にはヘリオドロスの名が付されており、長らくその名で呼ばれてきました。しかし名前が現れるのは一部の写本だけであることから、帰属は疑問視されています。レーンデルト・ヴェステリンクは、これを6世紀の新プラトン主義の哲学者オリュンピオドロスによる講義のノートとみる見解を示し、現在ではこの見方が広く受け入れられています。ボエルは1962年、「ヘリオドロスのものとされる」という但し書きを付した題名でこの注釈も校訂刊行しました。
原典と注釈が対になって残っている例は、古代占星術の文献としては多くありません。
古典占星術の系譜で扱っているとおり、ギリシア語の占星術文献はその後アラビア語へ、さらにラテン語へと訳されて西へ伝わっていきますが、パウルスの書は入門用の手引きとしてビザンツ世界でも読み継がれました。
現代の占星術でパウルスが読まれるようになったのは、20世紀末に始まった古典占星術の復興運動を通じてです。ギリシア語原典の英訳が進められ、ロバート・シュミットによる訳が1993年にプロジェクト・ヒンドサイトから、ドリアン・ギーゼラー・グリーンバウムによる訳が2001年に ARHAT から刊行されました。後者は6世紀の注釈と後代のスコリア(傍注)を併載しており、原典と注釈を並べて読める形になっています。
パウルスが現代で重んじられる理由のひとつは、記述が短く整理されていることにあります。セクト、ロット、プロフェクションといった技法について、装飾の少ない手順の形で書かれているため、技法の原形を確認する用途に向いています。実例の豊富な文献や理論志向の文献とは、果たす役割が異なるわけです。
もうひとつは、注釈が併存していることの価値です。4世紀に書かれた記述と、6世紀の講義がそれをどう説明したかを比べられるため、技法の理解が時代とともにどう変わったかを追う手がかりになります。原典が一冊で完結しているぶん、対照の作業もしやすくなっています。
パウルス・アレクサンドリヌスを知る意義は、占星術の技法が古代においてすでに「教えられるもの」として整理されていたと分かる点にあります。彼が残したのは誰かを驚かせるための書物ではなく、息子に手渡すための手引きでした。その素朴さが、かえって当時の標準的な理解を素直に映しています。
学び方の入口としては、事典の書籍ページで『イサゴーゲー(占星術入門)』の構成をつかみ、そのうえでセクト、ロット、プロフェクションといった個別の項目を読むと、パウルスがどの部分を担っているかが見えてきます。ヘレニズム期全体の見取り図としては、
ヘレニスティック占星術が現代の研究成果を踏まえた体系的な整理として参照できます。同じ時代の前後に位置する人物のページと合わせて読むと、4世紀という時期の意味がつかみやすくなります。
占星術は未来を保証するものではなく、自分の来歴と現在地を見つめ直すための地図として取り入れる価値があります。千六百年ほど前に書かれた教科書が残した順序立ては、その地図の読み方を学ぶ入口になってくれます。
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