シリル・フェイガン(Cyril Fagan)は、20世紀の西洋占星術に恒星を基準とする黄道を持ち込んだアイルランド出身の占星術家です。1896年5月22日にダブリンで生まれ、晩年を過ごしたアメリカ合衆国アリゾナ州ツーソンで1970年1月5日に没しました。英語圏の資料では「サイデリアル占星術の父」と呼ばれることが多い人物です。
彼の名が記憶されているのは、西洋占星術の枠組みを保ったまま、座標だけを
サイデリアル(恒星黄道)へ移すという立場を打ち出したからです。恒星基準の黄道はそれまでインド占星術のものと見なされていましたが、彼はその境界を越え、西洋の技法体系を恒星黄道の上で運用する系統を作りました。この立場を採る実践者はサイデリアリストと呼ばれます。
医師の道を志したものの、ほとんど聴力を失っていたために断念したと伝えられ、第一次世界大戦の後に職業的な占星術家となりました。アイルランド占星術協会(Irish Astrological Society)の設立に関わり、長く会長を務めています。
フェイガンが活動を始めた20世紀前半は、英語圏の占星術が普及期を経て、技法と理論の裏づけを問い直し始めた時期にあたります。心理学と接続する流れ、統計的な検証を試みる流れ、古代の文献に根拠を求める流れが並行して動いており、彼が選んだのは三つめの道でした。
背景として大きかったのは、19世紀末から20世紀前半にかけて進んだ楔形文字文献の解読です。バビロニアの天文日誌や星表が学術的に翻訳・刊行され、古代の人々が実際にどの座標で星を記録していたかを、占星術の外側の研究成果から確かめられるようになりました。
フェイガンは1930年代の後半から占星術理論の歴史的な側面を調べ始めたとされ、1940年代にこれらの翻訳研究を読み込むなかで、バビロニアの黄道が季節ではなく恒星に対して固定された区分であったという理解に至りました。古代の座標については
バビロニア占星術にも概要があります。
1956年に退職した後はタンジールに移り、そこから原稿を送り続けたのちアメリカへ渡りました。拠点を変えながら書き続けた経歴は、この系統が団体ではなく雑誌と書簡のネットワークによって広がったことを示しています。
フェイガンの中心的な主張は、西洋占星術が用いてきた
トロピカル(回帰黄道)は春分点を起点とする季節のものさしであり、古代バビロニアの恒星基準の区分とは別物だ、というものです。
歳差によって春分点は星空に対して後退するため、二つの座標のずれは時代とともに拡大します。この量が
アヤナムシャです。彼は本来の座標へ戻すべきだという立場から、恒星黄道への移行を呼びかけました。
もう一つ、彼が自身の到達点として重んじたのが、
エグザルテーション(高揚)の度数の由来をめぐる研究です。プトレマイオスの時代にはすでに失われていたとされる根拠について、フェイガンは1949年、それらが紀元前786年から785年にかけてのバビロンの緯度における各天体のヘリアカル現象、つまり天体が太陽の光から抜けて再び姿を現す位置や、見えなくなる直前の位置に対応するという説を示しました。
基準の取り方は、後にドナルド・A・ブラッドリー(筆名ガース・アレン)との協働で整えられました。この系統では、1957年にブラッドリーが恒星スピカをおよそ乙女座29度06分に置く形で基準点(シネティック春分点)を定め、その値のもとで恒星アルデバランとアンタレスがほぼ正確に牡牛座15度と蠍座15度に来ることが論拠として引かれています。これがフェイガン=ブラッドリー方式と呼ばれるアヤナムシャの基礎です。
技法の面では、サイデリアル座標の上で
ソーラーリターンと
ルナーリターンを運用する方法を整えた点が挙げられます。彼が連載の題名に用いた「Solunars」は、この二つの回帰図で時期を読む方法を指す語です。
最初の著書は1950年刊の
Zodiacs Old and Newです。バビロニアの記録から再構成した恒星黄道の根拠と高揚度数の解釈をまとめたもので、西洋サイデリアル占星術の出発点にあたる一冊とされています。
1962年には『The Symbolism of the Constellations(星座の象徴)』が刊行されました。編集にロイ・C・ファイアブレースが関わり、恒星黄道の上で各サインをどう読むかを扱っています。再録の機会が少ない稀少な文献です。
『Astrological Origins』は1971年、米国ミネソタ州セントポールのルウェリン社から刊行されました。没後の刊行で、占星術の座標と技法の起源をたどる論考です。同じ1971年には、ファイアブレースとの共著『A Primer of Sidereal Astrology』がアメリカ占星術家連盟(AFA)から出ており、こちらは恒星黄道の実践的な入門書です。
書籍と並んで影響が大きかったのが、雑誌『American Astrology』での連載です。フェイガンは1953年から没する1970年まで、毎月「Solunars」と題した記事を書き続けました。読者数のはるかに多い媒体で長年書き続けたことが、この考え方を英語圏へ広げる主な回路となりました。
フェイガンの立場を数値と統計の面から支えたのが、アメリカの研究者ドナルド・A・ブラッドリーです。ガース・アレンの筆名でも執筆し、恒星の位置の測定とイングレス図の検討を通じて基準点の精度を高めました。二人の名を冠したフェイガン=ブラッドリー方式は、今日でも西洋サイデリアル占星術の標準的なアヤナムシャとして扱われ、主要な計算ソフトや天体暦にも実装されています。
英国側では、軍人で占星術家でもあったロイ・C・ファイアブレースが、1961年に創刊した雑誌『Spica』を通じてフェイガンの主張を紹介し続けました。著述家ルパート・グリードウも、この立場に共感を示した一人です。
もっとも、支持者の層は厚くはありませんでした。フェイガンが1970年に没し、ブラッドリーとファイアブレース、グリードウが1974年に相次いで世を去ったことで、この系統は主要な担い手を短期間に失います。以後は英語圏で少数派の位置にとどまってきましたが、実践と出版は途切れていません。
トロピカルとサイデリアルの対立を西洋とインドの対立として整理する見方に対しては、この系統が例外を示す存在になりました。
現代の実務でフェイガンの名を目にする機会が最も多いのは、アヤナムシャの選択画面です。サイデリアル方式を選ぶと、ラヒリやラーマン、クリシュナムルティといったインド系の値と並んでフェイガン=ブラッドリーが現れます。その値はラヒリよりおよそ53分大きく、方式ごとの差は
アヤナムシャの比較で整理しています。
理論の面では、自分がいま使っている座標は何を基準にしているのかという問いを西洋の実践者に突きつけた点に意義があります。どちらを採るかは、星空の真実を一つに決める作業ではなく、どの体系の語彙で読むかを決める作業です。この論点は
トロピカルとサイデリアルでも扱っています。
高揚度数についての彼の解釈も、古代の技法がどのような観測に根ざしていたかを考える手がかりとして参照されます。ただしこれは提示された仮説であり、議論の続く論点です。彼の主張を採るかどうかにかかわらず、座標の選択が読みの前提を左右するという指摘そのものは、流派を横断して有効です。
シリル・フェイガンを知る意義は、西洋占星術のなかにも恒星黄道を採る系統があると分かる点にあります。トロピカルとサイデリアルの違いを西洋対インドの図式だけで覚えていると、この系統は視野から抜け落ちます。座標の選択が流派の分類とは別の軸だと分かると、入門書ごとに記述が違う理由も見通せます。
学び方としては、まず
Zodiacs Old and Newが彼の議論の骨格をつかむ入口になります。座標の問題そのものを先に整理したい場合は、
トロピカルとサイデリアルと
アヤナムシャの比較を読んでから著作に進むと、論点の位置関係がつかみやすくなります。
自分のチャートで確かめたい場合は、まずトロピカルの度数を出し、方式ごとのアヤナムシャの値を引いて比べるのが分かりやすい手順です。境界付近の天体がどう動くかを見ると、彼が提起した問題の実感がつかめます。
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