ラファエル(Raphael、本名ロバート・クロス・スミス/Robert Cross Smith、1795年〜1832年)は、19世紀前半の英国で活動した占星術家・暦編纂者です。1795年3月19日にイングランド西部のブリストルに生まれ、1832年2月26日にロンドンで没しました。もとは大工を生業としていましたが、1820年に結婚してロンドンへ移ったのち、占星術への関心を深めていきます。
「ラファエル」は1824年から用いた筆名で、天使ラファエルの名にちなむとされます。この筆名は本人一代では終わりませんでした。スミスの死後、彼が編んだ年刊の暦書の編集を引き継いだ人々が次々に「ラファエル」を名乗り、暦書そのものも『Raphael's Ephemeris(ラファエル天体暦)』の名で刊行され続けます。ロバート・クロス・スミスが「初代ラファエル」と呼ばれるのは、このためです。
本名よりも筆名のほうが長く生き延びた例として、彼は占星術の出版史のなかで特異な位置を占めています。今日でも書店に並ぶ天体暦の一つがその名を掲げていることは、19世紀前半の一人の著述家が始めた仕事が、二百年近く形を変えながら続いてきたことを示しています。
19世紀前半の英国は、占星術にとって底の時代でした。17世紀半ばに
ウィリアム・リリーらが活躍した英国占星術の隆盛は、その後の自然科学の発展と啓蒙思想のなかで退けられ、18世紀の終わりまでに占星術は学識ある世界からほぼ姿を消していました。残っていたのは、市中に出回る安価な暦本と断片的な伝承です。
いっぽうで、産業化が進む都市には識字層が広がり、安価な印刷物の市場が育ちつつありました。ラファエルが手をつけたのは、まさにこの隙間です。定期刊行物と年刊の暦書という媒体を使い、廃れかけていた技法を、専門家ではない読者に向けて印刷物として供給し直しました。学術の側から締め出された知を、出版市場の側から立て直す動きだったと言えます。
彼が仕事を始めた1820年代のロンドンでは、占星術と地占(ジオマンシー)、各種の神秘的な知識が混ざり合った出版物が出回っていました。ラファエル自身も1822年に G. W. グレアムとの共著で地占の書を出しており、初期の活動はこの雑多な出版文化のなかにあります。ここから
近代の西洋占星術へ至る復興の流れが、まず出版という形で動き始めました。
ラファエルの功績は、独自の理論を立てたことよりも、占星術を実践するために欠かせない道具を、毎年途切れさせずに供給する仕組みを作ったことにあります。
その中心が、1827年から没するまで彼が編集した年刊の暦書『The Prophetic Messenger』です。この暦書には、日付ごとの天体の位置を並べた
エフェメリス(天体暦)が収められていました。天体暦はチャートを組み立てるための土台であり、これが安価に、毎年、確実に手に入るかどうかは、占星術を学べる人の数を直接左右します。技法の解説書は一度書けば残りますが、天体暦は毎年作り直さなければ役に立ちません。彼が引き受けたのは、その反復の労働でした。
もう一つ見落とせないのが、ハウスの分割方式です。彼の暦書とその後継版は、
プラシダス方式のハウス表を掲げていました。英語圏でプラシダスが標準的な
ハウスシステムとして定着した背景には、この暦書が広く流通したことがあると指摘されています。方式そのものは17世紀のプラチドゥス・デ・ティティスに由来しますが、それを英米の実践者の手元に届けたのは19世紀の暦書でした。各方式の違いは
ハウスシステムの比較にまとめています。
ラファエルの名で最初に世に出たのは、1824年創刊の定期刊行物『The Straggling Astrologer』です。しかし購読者が集まらず、数号で休刊に追い込まれました。彼はその号を合本し、同じ1824年に『The Astrologer of the Nineteenth Century』として刊行します。この本は「第6版」を称していましたが、第1版から第5版は実在しなかったと見られています。1825年には大幅に増補した「第7版」が、ロンドンのナイト・アンド・レイシーから出ました。
1827年からは年刊の暦書『The Prophetic Messenger』の編集にあたり、これを没する1832年まで続けます。1828年には『The Familiar Astrologer』と『A Manual of Astrology, or the Book of the Stars』の二点を刊行しました。後者は、歴史的な導入から、太陽系と天体、月の満ち欠け、出生図の判断法へと順に説いていく手引書で、19世紀前半の英国で書かれた入門書の代表的な一冊です。原典はインターネット・アーカイブなどで公開されており、現在も読むことができます。
さらにさかのぼると、1822年に G. W. グレアムと共同で地占の書を出しています。これらの刊行物は、17世紀以来の
ホラリー占星術や出生図判断の技法を、19世紀の読者の言葉で言い直そうとする試みでもありました。
ラファエルの仕事は、同時代の英国にただちに続く者を生みました。リチャード・ジェームズ・モリソン(1795年〜1874年)は、R. C. スミスを通じて占星術に関心を持ち、「ザドキエル」の筆名で1831年に『The Herald of Astrology』を創刊します。これは『The Prophetic Messenger』を範に取ったもので、のちに『Zadkiel's Almanac』として長く続きました。筆名を掲げた年刊の暦書という形式が、この時期の英国占星術の標準的な発信手段になっていきます。
より大きな影響は、「ラファエル」という名そのものの継承です。スミスの死後、二代目には門下だったジョン・パーマー(1807年〜1837年)、三代目にはメドハースト氏(1837年ごろから1847年ごろの編集)、四代目にはウェイクリー氏(1852年没。「エドウィン・ラファエル」の名を用いた)、五代目にはスパークス氏(1820年〜1875年。1852年から1872年まで編集)が就きました。
その後を継いだ一人がロバート・トーマス・クロス(1850年〜1923年)です。彼は1870年代に版権を取得し、暦書を『Raphael's Ephemeris』へと改題しました。1893年には年間20万部を売り上げたと伝えられ、1896年に
アラン・レオが設立した占星術の団体では副会長を務めています。初代が始めた暦書が、世紀末の復興運動の担い手とつながった形です。
『Raphael's Ephemeris』は現在も刊行が続いています。版権はクロス家が1985年まで保有し、その後は1819年創業の英国の出版社 W. Foulsham & Co へ譲られました。天体位置の計算は現在、NASA のジェット推進研究所のデータに基づいて行われています。手作業の計算から始まった暦書が、二百年のあいだに担い手も計算方法も入れ替えながら、書名だけを保って残っているわけです。
現代の実践者にとって、この暦書の存在は二つの意味を持ちます。一つは、20世紀を通じて英米の占星術家が同じ天体暦を参照してきたという事実です。アラン・レオや
セファリアルの世代も、
チャールズ・カーター以降の教育の世代も、この系譜の暦書を手元に置いていました。共通の数値の土台があったからこそ、技法をめぐる議論が噛み合ったという側面があります。
もう一つは、ハウス方式の既定値としてのプラシダスです。多くのソフトウェアが初期設定にプラシダスを採っている現状は、19世紀の暦書が英語圏に残した習慣の延長線上にあると読めます。本サイトの計算ツールもプラシダスを既定としており、その意味では同じ系譜の上に立っています。
ラファエルを知る意義は、占星術が受け継がれるうえで、解釈の理論と同じくらい「道具の供給」が効いてきたと分かる点にあります。誰かが毎年、天体の位置表を刷って安く売り続けなければ、19世紀の読者は自分のチャートを組み立てることすらできませんでした。彼が作ったのは、その回路です。
学び方としては、まず『A Manual of Astrology』の原典に当たるのが確実です。19世紀前半の英語で書かれているため平易とは言えませんが、当時の入門書がどの順序で何を説いたか、どの技法を中核に置いていたかを直接たどれます。ホラリーと出生図判断が並んで扱われている構成は、
近代から心理派占星術への系譜で心理的な読みが前面に出てくる以前の重心を示しています。
もう一つは、天体暦そのものを一度めくってみることです。ソフトウェアが一瞬で返す数値の背後に、どんな形式の表が二百年積み重なってきたのかを、目で確かめられます。
いまは計算をツールが肩代わりしてくれます。まずは自分の配置を眺めるところから始めてみてください。
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