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プラチドゥス・デ・ティティス
Placidus de Titis・近世占星術・数学(イタリア)
分類
占星術家
系統
近世占星術・数学(イタリア)
この記事の内容: 人物像功績と理論代表的な著作
プラチドゥス・デ・ティティスとは
プラチドゥス・デ・ティティス(Placidus de Titis、1603年〜1668年)は、17世紀イタリアの数学者・天文学者であり、ベネディクト会系のオリヴェタン会(オリヴェート会)に属した修道士です。イタリア語ではプラチド・ティティとも記されます。1603年12月25日にウンブリア地方のペルージャで生まれ、1668年にパヴィアで没しました。 現在もっとも広く使われているハウス分割法プラシダスに、その名を残す人物です。ただし本人は、この分割法を自分の発明だとは述べていません。プトレマイオスが用いていた分割の原理を復元したものだと考えており、その立場を著作のなかで繰り返し表明しました。12世紀のアブラハム・イブン・エズラがプトレマイオスの方式として記した説明を、彼は自説の裏づけとして受け入れています。 彼の名は時間の伸ばし方の技法にも結びついています。出生後の1日を人生の1年に読み替える二次進行を、多数の実例つきで示したのがプラチドゥスでした。ハウスと時期判定という二つの領域に、同じ一人の修道士の仕事が残っているわけです。
プラチドゥス・デ・ティティスが生きた時代
プラチドゥスが生きた17世紀は、ヨーロッパで占星術が学問としての地位を問い直された時期にあたります。古典占星術の系譜が描くとおり、ルネサンスを経た近世の占星術は宮廷や大学と結びついて広く実践されていましたが、同時に新しい天文学と自然哲学の台頭によって、その根拠を説明し直すことが求められていました。 同じ世紀のフランスではジャン=バティスト・モラン(1583年〜1656年)が占星術の原理的な体系化を試み、イングランドではウィリアム・リリー(1602年〜1681年)が英語による実践的な教科書を著していました。プラチドゥスの仕事は、この二人とはまた別の方向を向いています。彼が取り組んだのは、天球の運動を数学的に扱い、占星術の技法をその運動から導き直すという課題でした。 伝記の伝えるところでは、彼はイタリアの名家の出身で、1624年ごろ、21歳ほどでオリヴェタン会に入りました。その後パドヴァ大学で数学と物理学の講師を務めたと伝えられ、1657年にはスペイン・ハプスブルク家の統治下にあったミラノ公国のパヴィア大学で数学の教授職に就き、没するまでその地位にありました。パヴィアでの担当は数学・物理学・天文学に及んだと記録されています。活動の拠点はミラノにあり、錬金術と占星術に関心を寄せていたオーストリア大公レオポルト・ヴィルヘルム(1614年〜1662年)の庇護を受け、ハウス表を献呈しています。
功績と理論
プラチドゥスの中心的な主張は、占星術の技法は天球の日周運動から一貫して導かれるべきだ、というものでした。天球全体を西へ回転させる最外殻の天球を、当時の宇宙観では第一動者(プリムム・モビレ)と呼びます。彼はこの回転を出発点に置き、ハウスの区切りも時期判定の技法も、そこから同じ原理で説明できると考えました。 ハウス分割については、天体が地平線から子午線へ、あるいは子午線から地平線へ移動するのに要する時間を三等分し、その割合でカスプを定めます。空間の角度ではなく、天体が空を通り抜ける時間を等分するという発想です。この考え方はプトレマイオスに由来するというのが本人の理解でした。各方式の原理と比較はハウスシステム比較ガイドにまとめてあります。 同じ日周運動から導かれるのがプライマリーディレクションです。プラチドゥスはこの技法の計算法を整理し、黄道上で測るゾディアカル方式と、天球の回転の枠組みで測るムンダン方式の双方を扱いました。そのうえで彼は、二次進行をこの主要技法の補助として位置づけています。1日を1年に読み替えるこの方法は、著作のなかでプライマリーディレクションと併用され、両者を突き合わせて時期を絞り込む手順が示されました。関係は進行法の比較で扱っています。 天球の運動という一つの土台から、ハウス・ディレクション・進行法を通して説明しようとした点に、数学者としての彼の姿勢があらわれています。
代表的な著作
著作は複数が知られています。1641年の『天球の可動体のディレクションの運動について(De motibus directionum coelestium mobilium)』、1650年の『フィシオマテマティカ、すなわち天界の哲学(Physiomathematica sive coelestis philosophia)』、1654年の『天文学の使者(Nuncius astronomicus)』、1657年の『第一動者の表、命題と実践規範を付す(Tabulae primi mobilis cum thesibus et canonibus)』、1658年の『プトレマイオス星辰判断論注解(Commentaria in Ptolemaeum de siderum judiciis)』が代表的なところです。 このうち後世にもっとも読まれたのが、1657年に刊行された表と命題の書で、英語圏ではプリムム・モビレの名で通っています。ハウス分割の表とディレクションの計算に必要な諸表を収め、理論を述べる命題と実践のための規範を組み合わせた構成です。ヨーロッパの著名人30人分のネイタルを例に取った実例集が添えられている点も、書誌に記録されています。 1650年の『フィシオマテマティカ』は、占星術を自然学の枠組みで基礎づけようとした理論編にあたります。依拠したのはテトラビブロスをはじめとするプトレマイオスの著作で、1658年の注解書はその読解を直接の主題としています。彼の仕事は全体として、プトレマイオスの再解釈という一本の線でつながっています。
同時代・後世への影響
プラチドゥスの著作は、刊行の直後に大きく広まったわけではありません。転機となったのは、彼の没後にイタリアの外で起きたことでした。1687年に『フィシオマテマティカ』がカトリック教会の禁書目録に収載され、1709年にその措置が更新されます。これは公開された書誌上の事実で、結果としてイタリア国内での流通は制限されました。 一方、同じ1687年にイングランドでカービーとビショップによる英語抄訳『The Marrow of Astrology』が出ています。プロテスタント圏のイングランドではプラチドゥスの方式が受け入れられ、当時知られた占星術家ジョン・パートリッジ(1644年〜1715年)が1693年の『Opus Reformatum』で中世由来の諸方式を退け、プトレマイオスとプラチドゥスの路線を採りました。プラチドゥスの技法が英語で読める形になったことが、その後の展開を決めたことになります。 本格的な英訳は18世紀末から19世紀初めに現れます。1789年のマノア・シブリー訳、そして1814年にロンドンのデイヴィス・アンド・ディクソン社から出たジョン・クーパー訳です。クーパー訳は数学教師の手によるもので、注と付録を添えた版として長く参照されました。さらに1821年、ロバート・クロス・スミス(ラファエル)がプラシダス方式のハウス表を載せた大衆向けの暦を刊行し、この分割法は英語圏の読者が手軽に使えるものになります。19世紀末以降、アラン・レオらの時代を経て、プラシダスは英語圏の標準的な選択肢として定着しました。
現代占星術における意義
現代の占星術ソフトウェアの多くは、プラシダスを初期設定のハウス方式としています。書籍や雑誌に載るチャートの多くも同じ方式で描かれており、他の資料と照合しやすい利点があります。本サイトの計算もプラシダスを採用しています。 ただし制約もあります。天体が昇り沈みしないほどの高緯度では計算が成り立たず、極圏に近い出生地では別の方式が必要です。緯度が高いほどハウスの幅の偏りが大きくなる点も知っておきたいところです。どの方式にもそれぞれの原理があり、優劣ではなく前提の違いとして理解するのが穏当だとされています。 技法の面では、二次進行が現代占星術の標準的な道具の一つになりました。ただし現代の実践では、プラチドゥスが主役に据えたプライマリーディレクションのほうが背景に退き、補助として扱っていた二次進行が前面に出るという、彼の想定とは逆の重みづけになっています。20世紀の心理占星術が内面の成熟を追う道具として二次進行を重んじたことが、その背景として指摘されます。 つまり現代の実践者は、ハウスの区切り方でも時期の追い方でも、意識しないままプラチドゥスの遺産を使っています。設定画面で何気なく選ぶ方式の背後に、17世紀の修道士がプトレマイオスを読み直した仕事があるわけです。
プラチドゥス・デ・ティティスを知る意義・学び方
プラチドゥスを知る意義は、自分が使っている設定がどこから来たのかを言葉にできる点にあります。ハウス方式も進行法も唯一の正解ではなく、誰かが特定の原理から導き、特定の経緯で広まったものです。その来歴を知ると、他の方式を試すときにも、何が変わって何が変わらないのかを落ち着いて見られます。 学び方としては、まずプラシダスの詳細で分割の原理を押さえ、次にハウスシステム比較ガイドで他方式との違いを見比べる順序をお勧めします。同じ出生データをプラシダスとホールサインの両方で出してみると、方式の思想の違いが実感として掴めます。 技法の側から入るなら、進行法の比較で二次進行との前提の違いを確かめ、そのうえでプライマリーディレクションの技法ページへ進むと流れがつながります。主著の内容と成立の経緯はプリムム・モビレのページで扱っています。 同じ17世紀のモランリリーと読み比べると、理論の体系化、実践の手引き、天球の数学という三つの方向が同じ時代に並んでいたことが見えてきます。まずは手元のチャートを開いて、ハウスのカスプがどこに引かれているかを眺めるところから始めてみてください。 無料のホロスコープ計算機で自分のチャートを見る
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プラチドゥス・デ・ティティスの著作
Primum Mobile (Tabulae primi mobilis cum thesibus et canonibus)
参考文献:Wikipedia「Placidus de Titis」(生没年・オリヴェタン会・パヴィア大学の教授職・著作一覧・英訳者)https://en.wikipedia.org/wiki/Placidus_de_Titis / Encyclopedia.com「Placidus de Titis (or Titus) (1603-1668)」(修道会入会・パドヴァでの教職・1657年のパヴィア着任・庇護者)https://www.encyclopedia.com/science/encyclopedias-almanacs-transcripts-and-maps/placidus-de-titis-or-titus-1603-1668 / The Astrology Podcast「How Did Placidus Become the Most Popular House System?」(禁書目録への収載と英語圏での普及)https://theastrologypodcast.com/2020/02/24/how-did-placidus-become-the-most-popular-house-system/ / Wellcome Collection「Primum mobile / Placidus de Titis ; translated by John Cooper」(1814年ロンドン刊の英訳)https://wellcomecollection.org/works/qn6xmt9k / Google Books「Primum Mobile; with theses to the theory, and canons for practice」(Cooper 英訳の書誌事項)https://books.google.com/books/about/Primum_Mobile_with_theses_to_the_theory.html?id=IhVbAAAAcAAJ / 本事典の用語集・技法・コラム各ページに準拠
監修:編集部(占星術担当)最終更新 2026-09-05
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