初代皇帝アウグストゥスは、自らのホロスコープを公開し、山羊座を刻んだコインを鋳造したことで知られます。山羊座は彼の月星座あるいは上昇星座とされ、その紋章としての利用は現存する遺物で確かに裏づけられます。研究者F.H.クレイマーは、この公開が実は西暦11年のことで、皇帝の死をめぐる噂で動揺した民衆を安心させる狙いがあったと論じています。のちにケプラーが皇帝のためにアウグストゥスの天宮図を計算しようとして、正確な出生時刻が失われていることに苦しんだ書簡も残ります。アウグストゥスは占星術を信じつつ、前33年には占星術師を追放もしました。信じることと、統制することが同居していたのです。
月星座か上昇星座かという違いは、チャートの上では小さくありません。上昇点(
アセンダント)は太陽や月と違って出生時刻がなければ決まらず、時刻が少しずれるだけで天体の入るハウスも大きく変わります(
太陽・月・アセンダントの違い)。ケプラーがアウグストゥスの出生時刻の欠落に苦しんだのも、この点に関わる問題です。ケプラー自身も、皇帝付きの数学官としてホロスコープを作成した職業的な占星術家でした(
ヨハネス・ケプラー)。
第2代皇帝ティベリウスの占星術師トラシュロスは、深い信頼を得てローマ市民権まで与えられました(「ティベリウス・クラウディウス・トラシュロス」)。彼はプラトンの著作を四部作(テトラロギア)に整理した編集者としても知られる学者でした。その子バルビッルスも後の皇帝の占星術師となり、占星術は宮廷で代々受け継がれる職業になっていきます。ティベリウスがトラシュロスを崖から突き落とそうと試した、という有名な逸話のほうは、脚色の可能性が指摘されています。
宮廷で占星術師が重んじられたのと同じころ、占星術を詩で語る書き手もいました。アウグストゥス帝の晩年からティベリウス帝の治世初期に成立したと推定される
アストロノミカは、
マルクス・マニリウスによるラテン語の教訓詩です。背骨にあるのは、星の配置から宇宙の秩序を読み取れるとするストア派の世界観です。宮廷の実務と詩の両面から、帝政初期の占星術の広がりがうかがえます。
皇帝たちは、占星術を利用すると同時に、強く恐れてもいました。とりわけ、政敵が「皇帝の死期」を星から読み取ることは、陰謀を勇気づけかねない危険とみなされたのです。ネロは彗星の凶兆を恐れて元老院議員を処刑したと伝わり、ハドリアヌスは自ら天宮図を作成したとされます。ウェスパシアヌスやドミティアヌスはコインに星や山羊座を用いました。その一方で、占星術師(カルデア人)はローマからたびたび追放されています。占星術は帝国のプロパガンダであると同時に、陰謀の道具として警戒される存在でもありました。
占星術の最も古い源流は、王と国家のために天を読む国家占星術でした(
古代の王と占星術)。王が国家そのものを体現するという前提に立てば、皇帝の出生図を読むことは、国の行く末を読むことと重なります。死期を読める占星術師が政敵の手に渡ることを恐れたのは、この前提から見ると筋の通った警戒だったと読めます。のちの4世紀には、
フィルミクス・マテルヌスが、占星術師は清廉に、ほとんど聖職者のように生きるべきだと説く一方で、皇帝だけは星に支配されないとも述べています(
占星術師の倫理)。皇帝の運命を星から読むことをめぐる緊張が、占星術の書き手の側の記述にも表れていたと読める一節です。
ローマ皇帝たちの姿は、占星術が担った二つの役割をくっきりと映し出します。権力を正統化する道具(山羊座の紋章、宮廷占星術師)であると同時に、統制すべき危険(度重なる追放、死の予言への恐れ)でもあった。この「信じながら、恐れて抑える」という両義性は、
ナチス・ドイツの事例にも通じる、占星術と権力のあいだに繰り返し現れる構図です。占星術が知識人の高度な学であると同時に、政治の最前線で恐れられる力でもあった。ローマほど、その緊張がむき出しになった舞台はありませんでした。劇的な逸話と確かな史料を切り分けつつ、この両面をあわせて読むことが大切です。