スイスの心理学者カール・グスタフ・ユング(1875〜1961)は、占星術を象徴の体系として、また「共時性(意味のある偶然の一致)」の好例として研究しました。患者を理解する手がかりに出生図を参照し、自ら天宮図を作成することもあったと伝わります。
ただしユングは、占星術を星が人を直接動かす「因果」のしくみとしては扱いませんでした。彼にとって占星術は、心の奥にある集合的無意識や元型が、天空に投影されたものでした。「占星術は古代のあらゆる心理学的知識の総和を表す」という彼の言葉は、占星術を当てものとしてではなく、人間の心を映す鏡として見る立場をよく表しています。
こうした考えを記したものとしては、インドの占星術誌の編集者B.V.ラマンに宛てた書簡がよく知られます(
ユングと心理占星術)。注意したいのは、天体と元型を一つずつ対応させる表をユング本人が作ったわけではないことです。太陽を「自己」、土星を「影」と重ねる読み方は、後継の心理占星術家たちが彼の思想を応用して広げたものです。その橋渡しを最初に体系立てたのは、1936年の『人格の占星術』で知られる
デーン・ルディアでした(
心理占星術)。
現代で最も史料の裏づけが強い事例が、アメリカのレーガン政権です。1981年に夫の大統領が暗殺未遂に遭ったのち、ナンシー・レーガン夫人はサンフランシスコの占星術師ジョーン・キグリーに相談し、1981年から89年にかけて、外遊・首脳会談・記者会見・手術などの日程を「吉日」へ調整させていました。
この事実は、1988年に元首席補佐官ドナルド・リーガンが回顧録で明かしたものです。彼は机上に、吉日を緑・凶日を赤で色分けしたカレンダーを置いていたといいます。レーガン夫妻は政策への影響そのものは否定しましたが、キグリーの関連文書はスタンフォード大学フーヴァー研究所に整理・所蔵されており、回顧録と所蔵資料の両面から裏づけられる確かな事例です。
技法の側から見ると、こうした日程の調整は、未来を言い当てる予言ではなく、物事を始める時を選ぶエレクション(選択占星術)にあたります(
エレクショナル占星術入門)。エレクションは、星が運命を決めるという発想とは異なり、最終的に選ぶのは人の側だという前提に立つ技法です。バグダード建都の日選びと同じ系譜の技法が、二十世紀の政権で使われていたわけです(
占星術で選ばれた都市の誕生日)。
二十世紀には、占星術は学問の表舞台から退く一方で、新聞や雑誌の星座欄を通じて大衆文化として広く親しまれるようになりました。ユングのように占星術を心理学の視点からとらえ直す動きがあった一方、第二次世界大戦下では、宣伝の道具として利用された影もあります(ヒトラー本人が占星術を信じていたことは史料的に裏づけられませんが、一部の高官は占星術師を用いました)。星を読むという営みが、権力・科学・大衆文化のあいだで揺れ動いたのが、この時代の特徴です。大戦下の宣伝と弾圧の経緯は、
ナチス・ドイツの場合で詳しく扱っています。
同じ「有名人と占星術」の話でも、その確かさには大きな幅があります。レーガン政権や
ケプラーのように、回顧録・公文書・現存する天宮図で裏づけられる事例がある一方、たとえばヒトラー本人が占星術を信じていたかは、歴史家のあいだでも否定的に見られています(側近の一部が占星術師を用いたことは知られています)。
一人の人物をめぐって、確かな話と怪しい話が並ぶこともあります。金融王J.P.モルガンの言葉として広まる占星術の名言は典拠が見当たらない一方、彼が占星術家
エヴァンジェリン・アダムズの顧客だったこと自体は、アダムズの自伝に本人の証言があります(
有名人逸話と誤帰属)。話を丸ごと信じも退けもせず、根拠を一つずつ分けて受け取ることが肝心です。
逸話の面白さに引きずられず、「その話の根拠は何か」をいつも一度問い直すこと。本シリーズが古代から現代までを通して大切にしてきたのは、この出典を確かめる中立的な姿勢でした。