啓蒙の時代、合理主義は占星術を迷信として斥けました。ヴォルテールは『哲学辞典』などで占星術に批判的でした。19世紀アメリカの思想家エマーソンも、エッセイ「自然」(1844年)で「利己的な者にとっては、天文学は占星術となり、心理学はメスメリズム(催眠術)となる」と書き、占星術を、知を利己的に歪めた姿として警告的にとらえています。占星術は知的な表舞台から退きつつ、大衆文化のなかで生き続けました。
エマーソンの一文で問われているのは、星の知識そのものより、それを扱う人の構えです。同じ天文学が、利己的な者の手にかかると占星術に変わる、という言い方になっているからです。自分の都合のために星を使う姿勢への戒めは、
占星術師と詩人の言葉で見た占星術師自身の慎みの勧めとも、向きが重なっています。
20世紀に入ると、占星術は予言から心理へと軸を移します。「近代占星術の父」アラン・レオは、占星術の焦点を予言から性格描写と心の成長へと転換させ、「性格は運命である(Character is destiny)」という標語を掲げました。人間中心占星術を創始した
デーン・ルディアは、著書『人格の占星術』(1936年)で占星術を「生命の代数(an algebra of life)」と呼び、混沌を秩序へ、集団的な人間性を創造的な個性へと変容させる営みとしてとらえ直しました。
レオの標語は、運命の置き場所を天から人の内側へ移す言葉として読めます。
アラン・レオは、解説の重心を出来事の予言から人となりの理解へと移し、その姿勢が後の入門書のあり方を形づくった人物です。ルディアの
人格の占星術も、チャートを固定された運命ではなく可能性の地図として読む発想を打ち出しています。
この転回を思想的に深めたのが、心理学者ユングです。彼は「占星術は古代のあらゆる心理学的知識の総和を表している」(著作集第15巻)と述べ、占星術を星の因果ではなく、元型と集合的無意識を映す象徴体系としてとらえました。ユング派の分析家リズ・グリーンは『運命の占星術』(1984年)で、運命を固定された地図ではなく、より高次の自己が展開していく潜在的な地図として読み解いています。占星術を「当てもの」から「自己理解の象徴」へと読み替える流れです。
運命の占星術のページでは、グリーンが運命を決定論と自由意志の二項対立で考えず、自分の本性に出会い続ける過程として捉え直した点が紹介されています。古代ローマの占星詩がうたった完全な決定論(
古代の言葉)と並べると、同じ運命という語が、外から定められた筋書きから内なる展開へと意味を変えてきたことが見えてきます。
他方で、占星術への鋭い批判も20世紀の重要な遺産です。哲学者アドルノは、新聞の占星術欄を分析した研究『星は地上へ降りて』(1952〜53年)で、大衆占星術を「第二次迷信」と呼び、心理的な依存や社会的順応を促すイデオロギーとして批判しました。科学哲学者ポパーは、占星術を、反証できないがゆえに科学とはいえない「疑似科学」の代表例として繰り返し挙げています。擁護と批判の両方の言葉を、それぞれの文脈ごと知っておくことが、星をめぐる議論を見渡すうえで欠かせません。
二つの批判は、狙っている場所が違います。アドルノが問題にしたのは、占星術欄が読み手にどう働くかという社会的な作用でした。ポパーが問題にしたのは、どんな結果にも当てはまってしまう主張の形です。星を読む側にとっては、依存を招く言い方と、外れようのない言い方の両方を点検する手がかりとして受け取ることもできます。
占星術を「自己理解の象徴」として再評価する流れと、「疑似科学」として斥ける流れ。20世紀以降、星をめぐる言葉は、この二つの極のあいだで交わされてきました。ユング自身、占星術を40年以上研究しながらも評価は両義的で、星の因果としての占星術はあくまで退けていました。どちらの立場の言葉も、相手を単純化せずに引くことが、議論を実りあるものにします。