762年、アッバース朝のカリフ、アル=マンスールは、新しい都バグダード(「平安の都」)の建設にあたって、占星術師ノウバフトとマーシャーアッラーに、工事を始める吉日を選ばせました。これは「ある物事を始めるのに最適な時を選ぶ」選択(エレクショナル)占星術と呼ばれる技法です。
選ばれたのは762年7月30日前後で、王朝や王権を象徴する木星が東の地平に昇る配置だったと伝わります。注目すべきは、この都市創設の天宮図が、11世紀の大学者
アル=ビールーニーの著作のなかに書きとめられて現存することです。あいまいな逸話ではなく、一次資料に近い形で裏づけられた、占星術史でも指折りの確かな事例といえます。
エレクションの考え方は、今日でも開業日や契約の日を選ぶ技法として受け継がれています(
エレクショナル占星術入門)。そこでも、時刻で変わる上昇点のサインや、吉星とされる木星との角度を確かめます。東の地平に木星を置いたバグダードの例は、その発想を都市の始まりにまで広げた古い実例です。
ノウバフトはアル=マンスールの即位を予言して台頭し、その一族は代々アッバース朝の宮廷占星術師となりました。アル=マンスールは、王朝も宗教も惑星のように興亡するという、ペルシア由来の歴史観に影響を受けていたとされます。
天体の周期で王朝や宗教の移り変わりを読むこの発想は、国家や時代を扱う
マンデーン占星術の柱の一つです。のちにアブー・マーシャルの『宗教と王朝の書(大会合論)』が、土星と木星の周期的な会合をもとに歴史の移り変わりを読み解こうとしたことも、この流れの上にあります(
アラビア・イスラムの占星術)。国家や都市を誕生の瞬間を持つ一人の人間のようにとらえるマンデーンの目で見ると、バグダードの選定天宮図は、都市の出生図をあらかじめ選んで作った例にあたります。
この時代、占星術はバグダードの大翻訳運動(ギリシア語の学術文献をアラビア語へ移す一大事業)を後押しする動機の一つにもなりました。星を正しく読むために、天文学や数学の知識が熱心に集められ、磨かれていったのです。次の世代には、
アブー・マーシャルのような大占星術師が現れます。彼の主著
占星術大序説は、各地に散らばっていた多源流の知を一つの体系に編み直した書で、バグダードを起点に広く読まれました。
こうしてイスラム世界で統合・洗練された占星術(ギリシア・ペルシア・インドの知の融合)は、やがてラテン語訳を通じて中世ヨーロッパへ逆流していきます。その大きな通り道が、トレドなどで進んだアラビア語文献のラテン語訳でした(
中世ヨーロッパの占星術)。マーシャーアッラーやアブー・マーシャルの著作は、ヨーロッパの大学で学ばれる基礎文献となりました。
天宮図を書きとめたアル=ビールーニーも、占星術をうのみにした人ではありません。同時代の占星術師がロットを濫用することに不満を述べながら、それらをほぼ網羅的に書き記したと伝えられます(
占星術師の倫理)。記録した学者がそうした批判的な距離を保っていたことは、この天宮図を資料として読むうえで押さえておきたい点です。
バグダード建設の天宮図は、単なる珍しい逸話ではありません。占星術が、文明をまたいで科学的な知を運ぶ「器」となっていた。その結び目に立つ出来事として読むことができます。
中世の王権にとって、占星術は単なる吉凶の判断ではなく、自らの支配の正しさを天によって裏づける道具でもありました。天が選んだ吉日に礎が据えられた都、という物語そのものが、新しい王朝の正統性を語ったのです。占星術はビザンツ帝国の宮廷でも用いられ、中世ヨーロッパの大学でも「アストロノミア」の名のもとに天宮図の作成や医療占星術が教えられました。バグダード建設の天宮図は、こうした「権威を支える占星術」という中世的なあり方を、最もくっきりと今に伝える一例といえます。
星を読むことが、国を治めることと固く結びついていた時代の証しです。当時の日選びは、未来を言い当てる行為である以上に、始まりに意味を与えて人々に示す行為でもあった、と受け取ると、この事例の重みが見えやすくなります。