イスラムの精緻な占星術:アル・ビールーニー
中世イスラム世界では、ギリシアの占星術がアラビア語に翻訳され、天文学的な計算と結びついて精緻に発展しました。その象徴が、11世紀の博学者アル・ビールーニーです。彼の占星術入門書『占星術教程の書』(R.R.ライト英訳)は、天文学的な厳密さで古典占星術を扱いました。興味深いのは、彼自身が同時代の占星術師による「ロット(占星術上の諸点)」の濫用に不満を述べながら、それらをほぼ網羅的に列挙したことです。占星術に批判的な距離をとりつつ実践した、知識人の典型といえます。ロットとは、複数の天体の位置を組み合わせた計算式から導かれる、出生図上の一点です。扱う主題ごとに新しいロットを考案できる技法だけに、際限なく増えやすいという性質を持っています。同じ緊張は、現代の出生図で天体やアスペクトのほかに何を読み込むかを線引きする場面にも、形を変えて残っています。
占星術を退けたアウグスティヌス
キリスト教思想では、星の影響を認めるかどうかが、人間の自由意志や神の摂理と鋭く対立しました。教父アウグスティヌスは、若き日に占星術を信じていましたが、のちに強く退けます。『告白』では、双子が同じ星のもとに生まれながら異なる人生を歩むことなどを根拠に、占星術を批判しました。彼にとって占星術は、人間の罪の責任を星に押しつけ、神の摂理に反する「霊的に危険なもの」でした。なお、英語圏で出回る「数学者(=占星術師)は悪魔と契約を結ぶ」という過激な引用は、誤訳・歪曲された形であり、原典の趣旨とは異なります。双子が同じ瞬間、同じ場所で生まれながら人生が分かれるという事実は、誕生の瞬間の星の配置だけで人生全体が決まるという主張に対する反証として機能します。この論法は今も、占星術に対する最も基本的な疑問として繰り返し持ち出されます。それに対する現代の応答の多くは、星の配置は出生後の環境や本人の選択と絡み合って現れるという立場を取りますが、この立場自体、アウグスティヌスが突きつけた問いへの間接的な返答という側面を持っています。
「賢者は星を支配する」:アクィナス
スコラ学のトマス・アクィナスは、より調停的な立場をとりました。『神学大全』で彼は、「人間は自由意志を持ち、それは星辰に支配されない。それゆえ占星術師自身が『賢者は星を支配する』と言うのである」と書いています。星は身体の傾向(気質や気分)を傾けることはできても、理性的な意志を強制することはできない。のちに「星は傾けるが、強制しない(astra inclinant, non necessitant)」と要約される考え方です(この標語自体はアクィナスの正確な語ではありません)。ここでいう「星が傾ける」対象は、身体の状態から生まれる気質や気分であって、理性そのものではありません。たとえば苛立ちやすい気質を生まれつき持っていたとしても、それをどう行動に移すかは、なお理性と意志の領域に属するという整理です。現代の出生図の読み方でも、天体の配置を「こうなりやすい傾向」として読み、扱い方は本人の選択に委ねる姿勢は、この整理を受け継いでいます。ただし、傾向のせいにして意志の努力を放棄すれば、アウグスティヌスが退けた、罪の責任を星に押しつける態度に逆戻りしてしまいます。
星を「最も高貴な学」と讃えたダンテ
詩人ダンテは、また別の感性で星を見ました。『饗宴』では天界の学(占星術を含む天文学)を「すべての学のなかで最も高く高貴なもの」と讃えています。『神曲』の各篇はいずれも「星々(stelle)」の語で結ばれ、天体への言及に満ちています。ダンテは自らを双子座の影響のもとに生まれたとし、その才能の占星術的な由来を強調しました。星と自由意志をどう両立させるか。中世の言葉は、この問いをめぐって深く彫られているのです。三篇の結びに置かれた「星々」という同じ語は、地の底から山を昇り、天へと至る魂の道のりの各段階で、最後に見上げる先が星であったことを示す構成だと読めます。星は物語の背景ではなく、旅の到達点そのものとして置かれているのです。また、ダンテが才能の由来として持ち出したのは出生図全体ではなく、双子座という一点だけでした。生まれた星座だけを取り出して才能を語るこの言い方は、現代の星座を中心にした語り方と同じ構造を持っています。
星は人を傾けることはあっても、強制はしない。アウグストゥスの拒絶から、アクィナスの調停、ダンテの讃美まで、中世の言葉は、占星術と自由意志のあいだで揺れ動きながらも、人間の責任の余地を決して手放しませんでした。星をめぐる議論が、そのまま人間の自由をめぐる議論でもあった時代です。