古代では、占星術と天文学はまだ一つの営みでした。星の運行が地上の出来事に影響するという考えは、当時の自然哲学に裏打ちされ、知的に正統なものとされていました。その代表が、2世紀アレクサンドリアの天文学者プトレマイオスです。彼の占星術書『テトラビブロス』(ローブ叢書版・F.E.ロビンズ訳)には、「広範に及ぶ事象のほとんどが、それを包む天空にその原因を引いていることは明白である」という一節があります。占星術の予知が有用かつ可能であることを論じた箇所で、本書は西洋古典占星術の主要な原典となりました。
この一文で目を留めたいのは、「すべて」ではなく「ほとんど」と書かれている点です。
テトラビブロスの項が伝えるように、プトレマイオスは星の影響を自然な作用として哲学的に基礎づけました。原因の多くを天に求めることと、人生の筋書きをすべて星で決めてしまうことは、同じではありません。
占星術師の倫理のコラムでも触れたように、彼は占星術を有用としつつ万能とはみなさない、慎重な態度をとっていました。
1世紀ローマの詩人マニリウスは、占星詩『アストロノミカ』(ローブ叢書版)で、より極端な宿命論を韻文にうたいました。「運命が世界を統べ、すべては確たる法則のもとに立つ……生まれ落ちるとき我らは死につつあり、終わりは始まりに懸かっている」。すべてが星によってあらかじめ定まっているとする、完全な運命決定論の立場です。占星術が示しうる一つの極端な姿を、この詩はくっきりと描いています。
この詩の背後には、万物が神の摂理と理性によって統べられるというストア派の世界観があります(
アストロノミカ)。プトレマイオスが自然学の言葉で「ほとんど」と書いたのに対し、マニリウスは詩の言葉で「すべて」をうたいました。同じく星に原因を見る古代の内側で、運命観にはすでにこれだけの幅があったわけです。
同じ運命をめぐっても、ストア派の哲学者セネカは少し違う角度から語りました。「運命は従う者を導き、抗う者を引きずってゆく(Ducunt volentem fata, nolentem trahunt)」。『倫理書簡集』でクレアンテスを引いたこの一句は、抗いがたい運命を前にした人間の姿勢を問うものです。セネカは、占星術師(カルデア人)が五つの惑星だけで予言することにも疑問を投げかけ、「ならばすべての星が運命に関わるはずだ」と論じています。
マニリウスと同じストア派の土壌から、運命が定まっているかどうかよりも、それを前にした人がどう振る舞うかを問う言葉が出てきたことは見逃せません。星が何を告げるかという問いと、告げられたものとどう付き合うかという問いは、ここで別々に立っています。近代以降の占星術がチャートを自己理解の材料として読み直していった流れ(
近代から現代への言葉)も、後者の問いの延長に置いて読むことができます。
ここに挙げた言葉は、いずれも原典が現存し、学術校訂版で確かめられる確かな引用です(ただし複数の英訳があるため、訳者と版に注意が要ります)。一方で、プトレマイオスに帰される有名な詩句「我は死すべき者と知る。されど星々の円環を探るとき、我が足はもはや地を踏まず……」は、『ギリシア詞華集』所収の警句であり、本人の作かどうかは確証がありません。同じ古代の言葉でも、確かめられるものとそうでないものがある。占星術の名言は、古代からこの二層に分かれているのです。
なお、プトレマイオスは天文書『アルマゲスト』も著した人物で、星を「測る」ことと「読む」ことが、当時は一人の手から生まれていました。確かめられる原典と、たどれない言い伝え。この二つを見分けながら読むことが、星をめぐる古代の言葉に近づく第一歩になります。原典を求めて引用を確かめる具体的な手順は、
誤帰属を検証したコラムで扱っています。