ナチス・ドイツといえば「オカルトに傾倒した政権」というイメージが流布していますが、占星術との関係は、実際にはもっと込み入っています。歴史家エリック・クルランダーは、ヒトラー本人が自分のホロスコープを誰かに作らせた形跡はない、と述べています。ヒトラー個人が占星術を信じていたという確かな証拠は乏しいのです。一方で、副総統ルドルフ・ヘスや親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーといった一部の高官は、占星術師を実際に重用していました。この「本人は懐疑的、側近は活用」というねじれが、ナチス・ドイツと占星術の関係を読み解く出発点になります。
象徴的なのが、スイス人占星術師カール・エルンスト・クラフトの一件です。彼は1939年11月、ヒトラーの生命がこの時期に危険にさらされる、という警告をヒムラーの部下宛てに送りました。その直後の11月8日、ミュンヘンのビアホールで実際に爆弾事件(ゲオルク・エルザーによる暗殺未遂)が起き、予言が当たったとして当局の注目を集めます。尋問の末に潔白とされたクラフトは、その後ゲッベルスの宣伝省で、ノストラダムスの四行詩を反英・親独のプロパガンダに利用する仕事に従事させられました。占星術が、信仰の対象ではなく宣伝の道具として使われたのです。
警告が「当たった」ことでかえって尋問を受けたという経緯は、権力者の身の危険を読む占星術師がどれほど危うい立場に置かれるかを物語っています。政敵が皇帝の死期を星から読むことを恐れたローマの事情とも、よく似た構図です(
ローマ皇帝と占星術)。また、宣伝に使われたノストラダムス本人は、自らの予言に留保を付し、保証はしないと書き残した慎重な書き手でした(
占星術師と詩人の言葉)。書き手の慎みが、文脈を差し替えられて宣伝の材料に変わった例としても読めます。
ナチス政権の占星術への態度は、終始矛盾していました。プロパガンダには利用する一方で、統制のきかない影響力の源としては危険視し、弾圧したのです。1941年にヘスがスコットランドへ単独飛行した事件のあと、占星術師の一斉検挙(「ヘス作戦」)が行われ、600人以上が逮捕されました。クラフトも投獄され、1945年、収容所への移送途中に発疹チフスで命を落としています。ゲッベルス自身は占星術を信じておらず、日記に「世界はオカルト的な迷信に満ちている。ならばなぜ、それを敵の戦線を切り崩すために使わないのか」と記し、信仰と宣伝を冷徹に切り分けていました。
占星術への締めつけは、1941年の一斉検挙より前から書物の側にも及んでいました。ハンブルク学派を興した
アルフレート・ヴィッテの主著は、1936年秋に帝国著作院によって発禁とされ、在庫は押収・焼却されています。学派の協力者ルドルフはナチス期に収容を経験しながらも規則集の版を守り、戦後に活動を再建しました。いま学ばれている技法の一部が、この弾圧の時代をくぐり抜けて伝わってきたことになります。
この一連の出来事は、しばしば「オカルトに憑かれたナチス」という劇的な物語として語られます。しかし史料を丁寧に追うと、それは信仰の物語というより、占星術の大衆的な人気を利用しつつ、同時に恐れて押さえつけた、宣伝と統制の物語だと見えてきます。ヒトラー本人の信奉は史料的に裏づけられず、高官の利用は確認でき、「ヘス作戦」やクラフトの末路は記録に残っています。劇的な伝説と、確かめられる事実を切り分けて読むこと。この姿勢は、占星術をめぐるどの時代の話にも通じます。
見分けるための手がかりの一つは、その話がいつ初めて記録に現れたかを確かめることです(
有名人逸話と誤帰属)。当事者が世を去ってから広まった話と、同時代の日記や文書に残る話とでは、重みがまるで違います。ゲッベルスの日記のような同時代の記録が、この時代を語るうえで大切な足場になるのはそのためです。