『ゾディアックス・オールド・アンド・ニュー』(Zodiacs Old and New)は、アイルランドの占星術家シリル・フェイガンが1950年に刊行した著作です。書誌記録には「A Probe into Antiquity and What Was Found(古代への探査と、そこで見つかったもの)」という副題が添えられており、刊行者はロサンゼルスの Llewellyn Foundation for Astrological Research(Llewellyn Publications)、シリーズ上は Foundation Report の第2号として記録されています。ロンドンの Anscombe の名も書誌に併記されています。
本書が問いかけるのは、黄道十二宮の目盛りをどこから測るのか、という一点です。西洋占星術は春分点を牡羊座0度とする
トロピカル(回帰黄道)を採ってきましたが、フェイガンは古代の記録を検討した結果、黄道の起点は本来、実際の恒星に固定された
サイデリアル(恒星黄道)だったと主張しました。二つの黄道の差である
アヤナムシャを、彼はここで初めて自前の値として提示しています。
報告書に近い体裁の一冊ですが、20世紀の西洋サイデリアル占星術という潮流の出発点として扱われてきました。インド占星術の外側で、西洋の解釈体系をそのまま恒星黄道の上で運用する立場を、文献にもとづいて宣言した最初の書物という位置づけです。
著者の
シリル・フェイガンは、1896年5月22日にダブリンで生まれ、1970年1月5日にアリゾナ州トゥーソンで没しました。医師の家系に育ちながら聴覚を失って医学の道を断念し、第一次世界大戦後に職業占星術家となった経歴が伝えられています。1930年にはアイルランド占星術協会を設立し、長く会長を務めました。
転機は1930年代後半に訪れます。フェイガンは占星術理論の歴史的な側面、とりわけ黄道の成り立ちを調べ始めました。楔形文字資料の解読が進み、
バビロニアの天文・占星術文献が翻訳を通じて読めるようになっていたことが、この探索を可能にしています。1940年代に入るころには、バビロニアで用いられていた黄道が季節ではなく恒星に結びついていたという確信に至り、1944年までにその趣旨を書き残しています。
本書は、その十年あまりの調査を一冊にまとめたものです。1948年には恒星黄道の暦『Fixed Zodiac Ephemeris for 1948』を出しており、実務の道具を先に用意したうえで、その根拠を論証する書物として本書が続いた形です。当時の西洋占星術は
プトレマイオス以来のトロピカル体系を当然の前提としていましたから、その前提そのものを問い直す本書は、かなり孤立した位置から出発しました。
本書が扱う主題は、書誌に残る目次から輪郭をつかむことができます。プトレマイオスやインド・エジプトの黄道、ギリシア・ローマ期の議論といった学説史の整理から始まり、新月(ネオメニア)の観測、エンリル・アヌ・エアの三つの帯、女神ヌト、プレアデス星団といったメソポタミアとエジプトの天文観に進みます。後半では紀元前786年のニサン月1日の位置、
スピカとティシュリ月1日の関係、同年3月の大月食、フェイガン自身が名づけた「ヒュプソマティック・アヤナムシャ」、バビロニアの天文家ナブーリアンヌとキディンヌ、アルデバランとアンタレスの位置が論じられます。ここでは各章の内容を追わず、扱われている主題の範囲を示すにとどめます。
議論の要になっているのが、
エグザルテーション(高揚)の度数の由来です。太陽が牡羊座19度、金星が魚座27度といった伝統的な高揚の度数は、古代から数値だけが伝えられ、理由が失われていました。フェイガンは、紀元前786年という特定の年に、これらの天体が日の出前や日没後の出没、あるいは逆行の転換点で、まさにその度数に位置していたと論じます。高揚の度数が古代の実際の観測の記録だとすれば、そこから逆算して当時の黄道の境界を度の単位で復元できる、という組み立てです。
この推論から導かれた値が、フェイガンのアヤナムシャです。高揚(ヒュプソーマ)から導いたという意味で、彼はこれをヒュプソマティック・アヤナムシャと呼びました。学説として見れば大胆な仮説であり、その当否は今も議論の対象です。ただ、黄道の起点を思想や慣習ではなく古代の観測記録から決めようとした手続きそのものが、本書の方法上の主張になっています。
刊行後、支持者が集まりました。アメリカの研究者ドナルド・A・ブラッドリー(筆名ガース・アレン)、イギリスのロイ・C・ファイアブレース、著述家のルパート・グリードウらが、フェイガンの立場から研究と普及を進めます。フェイガン自身も1953年から没するまで、アメリカの雑誌『American Astrology』に月刊コラム「Solunars」を書き続け、本書の枠組みを実践の場へ広げていきました。
数値の面では、1957年にブラッドリーが統計的な検証をもとにスピカの位置をおよそ乙女座29度06分へ修正し、これが現在の
フェイガン=ブラッドリー・アヤナムシャとして定着します。ブラッドリーはこの基準点をシネティック春分点(SVP)と呼びました。この値のもとではアルデバランとアンタレスがほぼ正確に牡牛座15度と蠍座15度に来るとされ、値の説得力を支える論拠として引かれています。
運動としての広がりを担ったのが、ファイアブレースが1961年3月に創刊した季刊誌『Spica』です。1974年10月まで続いたこの雑誌には、フェイガンやグリードウらが寄稿し、西洋サイデリアル占星術の議論の場となりました。フェイガン自身はその後『Symbolism of the Constellations』(1962年)を著し、没後の1971年にはミネソタ州セントポールの Llewellyn Publications から『Astrological Origins』(224ページ)が刊行されます。この本は書誌によっては『Astrological Origins, Zodiacs Old and New』と表記され、1950年の本書の議論を引き継ぎ、拡張した最終的なまとめとして扱われています。
本書の位置は、
トロピカルとサイデリアルという対立を「西洋とインド」の構図だけで捉えると見えにくくなります。フェイガンが提起したのは、西洋占星術の内部にサイデリアルの選択肢を戻すことでした。ハウスやアスペクト、
テトラビブロス以来の解釈の語彙はそのまま使いながら、座標だけを恒星基準に置き換える。この組み合わせが、インド占星術とも従来の西洋占星術とも異なる系統を生みました。
現在、フェイガン=ブラッドリーは主要な計算ソフトにサイデリアルの標準的な選択肢として実装されており、本事典の「アヤナムシャの比較」でも扱ったとおり、インドで標準とされるラヒリ方式よりおよそ53分大きい値になります。数分から2度あまりの幅で並立する複数のアヤナムシャのうち、西洋の実践者が最初に出会うのがこの値です。
ケネス・バウザーの注釈を加えた新版が2026年に予定されており、フェイガンの没後に進んだ古代天文学の研究成果を踏まえて読み直す機会になると見込まれています。
歳差が二つの黄道を引き離してきたという事実に、文献と観測の側から向き合った記録として、本書は参照され続けています。
本書を知る意義は、自分が使っている黄道が「選ばれたもの」だと気づける点にあります。多くの入門書はトロピカルを前提に書かれ、その前提が説明されることはあまりありません。前提そのものを問い直した人がいたと知ると、チャートの度数が何を測った値なのかを意識できるようになります。
読み方の順序としては、まず本事典の「トロピカルとサイデリアル」で二つの黄道の違いを押さえ、次に「アヤナムシャの比較」で値の分かれ方を確認してから本書に入ると、議論の的が絞りやすくなります。本書の中心は高揚の度数と紀元前786年から785年にかけての太陰年をめぐる推論ですので、そこに焦点を合わせて読み、細かな暦の計算は必要に応じて戻る、という進め方が現実的です。
入手については英語の原書のみで、日本語訳は本稿執筆時点で確認できていません。原書は長く絶版が続いているため、議論を拡張した『Astrological Origins』(1971年)や、2026年に予定されている新版を待つ選択もあります。
併読としては、著者の歩みを追う占星術家ページ「シリル・フェイガン」と、黄道十二宮が形づくられた現場を扱う歴史ページ「バビロニア占星術」を合わせると、本書が何を復元しようとした本なのかが立体的に見えてきます。
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