『惑星図の規則(Regelwerk für Planetenbilder)』は、ドイツの測量技師で占星術家の
アルフレート・ヴィッテ(Alfred Witte、1878〜1941)の教えをもとに編まれた、
ハンブルク学派(ウラニアン占星術)の基本文献です。副題は「明日の占星術(Die Astrologie von morgen)」で、英訳版の書名は『Rules for Planetary Pictures』として知られます。本事典では用語ページで「アルフレッド・ウィッテ」の表記も併用しています。
本書は通読する理論書というより、組み合わせを引くための辞典です。二つの天体のちょうど中間にあたる
ミッドポイント(中点)と、そこに第三の要素が重なってできる「惑星図式(Planetenbilder)」について、膨大な組み合わせを式の形で並べ、それぞれに短い解釈文を添えた構成になっています。チャートの上で見つけた式を索引のように引き、言葉へ落としていく使い方が想定されています。
刊行年は一般に1928年とされます。版元のヴィッテ出版(Witte-Verlag)の記述では、編集作業が1928年の夏に終わり、書物として市場に出たのは1929年でした。増補された第2版は1932年、第3版は1935年に出ています。編纂の実務を担ったのは、ヴィッテの協力者で出版者のルートヴィヒ・ルドルフ(Ludwig Rudolph)でした。
ヴィッテはハンブルクで測量に従事した技師であり、アマチュア天文家でもありました。1925年10月31日には「ハンブルク学派占星術家協会(Astrologenverein Hamburger Schule)」がハンブルクで設立され、ヴィッテを理論の中心に、講演を組織したフリードリヒ・ジークグリューン(Friedrich Sieggrün)と出版を担ったルドルフが初期の中核でした。
本書が生まれたきっかけは、講義の記録という実務的な必要でした。ヴィッテ出版の伝記記述によれば、1926年の占星術大会のあと、ヴィッテは自身の解釈を弟子たちに口述して書き取らせていましたが、この方法は効率が悪く、ルドルフが書物としてまとめることを提案します。ヴィッテはその作業をルドルフに委ね、ルドルフは1927年に自身の出版社を興してこれに取り組みました。本書は一人の著者が机上で書き下ろしたものではなく、口述された規則を編集者が体系へ整えたところに成立しています。
同じころヴィッテは、海王星の外側をめぐると仮定した観測されていない天体を提唱していました。彼が名づけたのはクピドー・ハデス・ゼウス・クロノスの四つで、のちにジークグリューンがアポロン・アドメトス・ウルカヌス・ポセイドンの四つを加え、合わせて八つの
仮想天体が学派の体系に組み込まれます。これらは観測によって確認された天体ではなく、この点が本書と学派をめぐる議論の焦点になってきました。
本書の中心にあるのは「惑星図式」という考え方です。ヴィッテ出版の解説によれば、これは複数の要素(天体および感受点)が共通の軸のまわりに対称に並ぶ配置を指します。二天体の関係を一つずつ見ていく古典的なアスペクトの読みに対し、複数の要素が作る一つの構造としてまとめて評価するところに違いがあります。式としては二つの要素の半和(a+b)÷2がもっともよく使われ、ほかに和や差、a+b-cの形で求める感受点も扱われます。
こうした式は理屈のうえでは無数に作れます。本書の仕事は、実務で参照されうる組み合わせを洗い出し、それぞれに簡潔な言葉を割り当てて一覧にしたことにあります。分量が大きくなるのは、要素の数が増えるほど組み合わせが急激に膨らむからです。本ページでは各項目の解釈文そのものは扱わず、書物の性格と位置づけの紹介にとどめます。
実務の道具立てとして知られる目盛り盤(ダイヤル)は、本書の刊行より少し後に整えられました。ヴィッテ出版によれば導入は1931年で、円周を4分の1に畳んだ90度ダイヤルが精度を4倍に高める道具として学派でもっとも普及したとされます。計算せずに対称構造を目で拾えるこの器具と、引くための規則集である本書は、実践のうえで一対をなしてきました。45度の系列でまとめて角度を見る発想は、
セミスクエアや
セスキコードレートを重く扱う近代の潮流とも重なります。
本書は伝統的な解釈法への挑戦とみなされ、同時代のドイツ語圏で強い反発と支持を同時に受けました。ヴィッテ出版の記述では、1936年秋にドイツの帝国著作院が理由を示さないまま本書を発禁とし、英語版ウィキペディアは1936年10月2日の禁止と、その後に本書が焼却されたことを伝えています。ヴィッテはゲシュタポの監視と尋問を受け、1941年に自ら命を絶ちました。学派の資料が戦後に再建できたのは、ルドルフが本を保管していたためとされます。
ヘルマン・レーフェルト(Hermann Lefeldt)は1946年に、冥王星とジークグリューンの四つの仮想天体を規則集へ組み込み、収録される組み合わせの数はおよそ倍になりました。現行の公式改訂版がルドルフとレーフェルトの名で出ているのは、この経緯によります。
英語圏への導入は二つの経路をたどりました。一つはアメリカにおける学派の最初の公式代表者リチャード・スヴェーラ(Richard Svehla)による翻訳で、1930年代にルドルフから許諾を得て1935年の第3版を底本に進められ、1939年に「Uranian System of Astrology」という副題を添えて刊行されます。「ウラニアン占星術」という英語圏での呼び名は、この経路から広まりました。もう一つはルドルフがクルト・クヌプファー(Curt Knupfer)に依頼した翻訳で、1974年に刊行され、その後およそ50年にわたり英語圏の標準版でした。
方法の一部は別の流派へも受け継がれました。
ラインホルト・エバーティンはハンブルク学派の中点技法を受け取りながら、観測されていない仮想天体を体系から外し、
コスモバイオロジーという独自の流れを立てました。その主著
『星々の影響の組み合わせ』も、本書と同じく組み合わせを引く辞典型の参照書です。
占星術史のなかで本書を置くなら、20世紀前半のドイツ語圏で起きた「占星術を幾何学的な構造として組み直す」という試みの、最初の大きな成果物にあたります。サインやハウスの象徴からではなく、要素の対称配置と角度の関係から意味を積み上げるという発想は、当時としては大きな方向転換でした。
同時に、この本の受け取られ方は今も一枚岩ではありません。八つの仮想天体は天文学的に確認された天体ではないため、これを使う立場と使わない立場が分かれます。ヴィッテ出版自身も、ハンブルク学派は仮想天体で定義される流派ではないとし、ルドルフが「まず既知の天体だけで読み、必要なときに仮想天体へ進む」よう説いていたと紹介しています。外惑星や仮想の感受点をどう扱うかという論点は流派ごとに前提が異なり、その見取り図は
外惑星の扱いの流派差にまとめています。
現代の実務では、ミッドポイントの計算と90度ダイヤル表示は多くの占星術ソフトウェアが標準で備えています。本書が定めた式の書き方と組み合わせの考え方は、ハンブルク学派を名乗らない実践者にも、
ミッドポイント技法という形で届いていると言えます。
本書を知る意義は、占星術のなかに「対称と角度の構造から読む」という系統がはっきり存在すると分かる点にあります。ミッドポイントという語だけを覚えるより、それがどんな問題意識から生まれ、どんな道具立てと使われてきたかを知るほうが、技法の輪郭はつかみやすくなります。
入手については、ヴィッテ出版の公式改訂版(2020年、ルートヴィヒ・ルドルフとヘルマン・レーフェルト編、324頁、ハードカバー ISBN 978-3-920807-47-8/ソフトカバー ISBN 978-3-920807-46-1)が現行の標準版です。歴史的な姿を確かめたい場合は、1939年のスヴェーラ訳を2014年に公式復刻した版(216頁、ISBN 978-3-920807-40-9)があり、冥王星とジークグリューンの仮想天体を含まない初期の体系を読めます。日本語の完訳は確認できていないため、英訳版を通じて読むのが現実的な経路です。
読み方としては、まず
ミッドポイントの定義と式の記法に慣れ、そのうえで辞典として引くのが本書の想定する使い方です。入口としては、同じ辞典型の
『星々の影響の組み合わせ』から入り、仮想天体を含む体系まで踏み込む段階で本書へ進む順序も現実的です。本書は特定の出来事を断定するための道具ではなく、象徴を構造として読むための参照書として受け取るのが適切です。
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