『プリムム・モビレ(Primum Mobile)』は、
プラチドゥス・デ・ティティス(Placidus de Titis、1603年〜1668年)が1657年に刊行したラテン語の著作が、英語圏で通ってきた呼び名です。ラテン語の原題は『Tabulae primi mobilis cum thesibus et canonibus』。第一動者(プリムム・モビレ)の表に、理論のための命題と実践のための規範を添えたもの、という意味です。第一動者とは当時の宇宙観で、天球全体を一日に一周させる最外殻の天球を指します。書名がそのまま、本書が何を土台に据えているかを告げています。
書名の表記には、少し整理が要ります。プラチドゥスの理論編にあたる主著は別にあり、1650年刊の『フィシオマテマティカ、すなわち天界の哲学(Physiomathematica sive coelestis philosophia)』がそれです。この書は1647年にディダクス・プリットゥス・ペルシエンシスという偽名で『Quaestionum physiomathematicarum libri tres』として出たものと同じ内容で、1675年には弟子たちの手で増補された第2版が刊行されています。1657年の表と規範の書は、その理論を実際の計算に落とす実践編という関係にあります。
英語の書名『Primum Mobile』が定着したのは、1814年にロンドンで刊行されたジョン・クーパー訳からです。その版の長い標題は、収めた技法が「著者がその『天界の哲学』で述べた原理に従う」ものだと明記しており、標題そのものが二つの書物の関係を示しています。
著者プラチドゥスは、1603年12月25日にウンブリア地方のペルージャで生まれ、1668年にパヴィアで没しました。ベネディクト会系のオリヴェタン会に属した修道士で、パドヴァで数学と物理学を講じたのち、1657年にパヴィア大学の数学教授に就き、没するまでその職にありました。担当は数学・物理学・天文学に及んだと記録されています。
執筆の動機は、占星術から根拠の説明できない要素を取り除き、アリストテレス的な自然哲学と物理の上に置き直すことにありました。彼が繰り返し掲げた立場は、
プトレマイオスと理性のほかに導き手を求めない、という一句に要約されます。天体の影響が届く媒体は光であるという理解も、この枠組みから来ています。
先行する伝統との関係でいえば、出発点は
テトラビブロスでした。プラチドゥスは、自分の用いるハウス分割を新案ではなくプトレマイオスの方式の復元だと考えており、その根拠として12世紀のアブラハム・イブン・エズラの記述を受け入れています。実際にはプトレマイオスの本文にその分割法が明記されているわけではなく、後世の研究はこの点を彼自身の理性の産物と見ています。刊行歴は1641年の『De motibus directionum coelestium mobilium』、1650年の『フィシオマテマティカ』、1657年の本書、1658年のプトレマイオス注解と続きます。
本書は、理論を述べる命題群と、実践の手順を示す規範群、そして計算のための諸表という三つの部分からなります。表にはハウス分割の表とディレクション計算に必要な数表が収められ、実例として30例の出生図が添えられていることが書誌に記録されています。以下は章の逐語的な要約ではなく、本書が持ち込んだ考え方の紹介にとどめます。
中心にあるのは半弧という発想です。ある天体が一日に描く円を、昇る点・南中する点・沈む点・北中する点の四つで区切ると、四つの弧ができます。プラチドゥスはこの各弧を右昇の度数で測り、それぞれを90度に相当するものとして扱いました。この比例を使えば、アングルの間にある中間の位置についても、天球の回転のなかでの座標を数値として定められます。ハウスのカスプは、この半弧を三等分した割合として決まります。時間の割合で空を区切るというプラシダス方式の原理は、ここから出ています。
同じ比例が、そのまま
プライマリーディレクションの計算にも使われます。本書は、黄道上で測るゾディアカル方式と、天球の回転の枠組みで測るムンダン方式を並べて扱い、後者を半弧の比例から定義しました。光を媒体とする立場からは、太陽が地平下18度までの薄明の帯にあるときに計算を補正する薄暮弧と暗弧の扱いも導かれています。
もう一つ、本書は出生後の1日を人生の1年に読み替える方法を「二次的なディレクション」と名づけ、主要な技法であるプライマリーと区別しました。現在
二次進行と呼ばれている技法の名の由来です。朔望月1か月を1年に当てる別の方法も述べていますが、こちらは後世にほとんど受け継がれていません。
本書の受容は、著者の想定とは違う経路をたどりました。イタリアでは、教会の検閲を三度通っていたにもかかわらず、1687年に『フィシオマテマティカ』が禁書目録に収載され、1709年にその措置が更新されます。これは公開された書誌上の事実で、国内での流通は制限されました。
同じ1687年、イングランドではリチャード・カービーとジョン・ビショップが『The Marrow of Astrology』を刊行します。これは1657年の本書を出所を示さないまま抄訳したものだったと、後世の研究で指摘されています。続いてジョン・パートリッジ(1644年〜1715年)が1693年の『Opus Reformatum』で、中世由来の諸方式を退けてプトレマイオスとプラチドゥスの路線を採りました。
18世紀に英国の占星術が衰えたあと、本書は世紀末に再発見されます。1789年にマノア・シブリーが『Astronomy and Elementary Philosophy』として英訳を世に出し、その25年後の1814年、ジョン・クーパー訳がロンドンのデイヴィス・アンド・ディクソン社から『Primum Mobile』の書名で刊行されました。xv+462ページのこの版が、以後の英語圏で標準的に参照される版になります。ただし訳業の帰属には経緯があり、もとは匿名の訳者が作った写本が第三者に無断で写され、1789年にシブリーが自分の名で刊行し、クーパー訳はその改訂版として出たものだと研究で指摘されています。
定着を決めたのは、その後の実務書です。1819年にジェイムズ・ウィルソンの『A Complete Dictionary of Astrology』がプラチドゥスの理論を取り込み、1827年にはロバート・クロス・スミス(ラファエル)が編集する年刊の暦『The Prophetic Messenger』が創刊され、その天体暦にプラシダス方式のハウス表が載りました。この表がラファエル暦に載り続けたことで、英語圏の読者は計算の手間なくプラシダスを使えるようになります。19世紀末以降、
アラン・レオらの時代を経て、標準的な選択肢として定着しました。
近世占星術のなかで本書を置くなら、同じ17世紀の
アストロロギア・ガリカと並べて見るのが分かりやすいでしょう。ジャン=バティスト・モランが形而上学的な因果の言語で占星術の根拠を組み直したのに対し、プラチドゥスは天球の日周運動という一つの物理的な原理から、ハウスも時期判定も導けると考えました。答えの方向は違っても、占星術はなぜ機能するのかという問いを共有した時代の所産です。
古典占星術の系譜のなかでは、近世の終盤に位置する仕事にあたります。
現代における意義は、実務の初期設定として生き続けている点にあります。占星術ソフトの多くがプラシダスを既定のハウス方式としており、書籍や雑誌に載るチャートの多くも同じ方式で描かれています。本サイトの計算もこの方式です。
一方で、重みづけは本書の想定と逆になりました。プラチドゥスが主役に据えたプライマリーディレクションは背景に退き、補助として位置づけた二次進行のほうが前面に出ています。前提の違いは
進行法の比較で扱っていますが、その逆転自体が、占星術がどんな道具を求めてきたかの変化を映していると読めます。
本書を知る意義は、自分がふだん何気なく選んでいる設定の来歴を、言葉にできるようになる点にあります。ハウス方式も進行法も、どこかの時点で誰かが特定の原理から導き、特定の経緯で広まったものです。その来歴が見えると、別の方式を試すときにも、何が変わって何が変わらないのかを落ち着いて見比べられます。
読む段取りとしては、いきなり原典に向かわないほうが近道です。まず
プラシダスで分割の原理を押さえ、次に
ハウスシステム比較ガイドで他方式との違いを確かめてから技法のページへ進むと、本書が何を一つにまとめようとしたのかが見えてきます。
原典に当たる場合、ラテン語版は各国の図書館のデジタル化資料で閲覧できます。日本語の訳書は刊行されていないと見られるため、現状の入口は1814年のクーパー英訳です。復刻版や画像資料の形で流通していますが、訳文の帰属をめぐる経緯があるため、近年の研究と併読すると安心です。
占星術は運命を言い当てるためのものではなく、自分を見つめ直すための知の地図として取り入れる価値があります。プラチドゥスが天球の回転という一点から地図の目盛りを引き直した仕事は、その目盛りをどう選ぶかを考えるうえで手がかりになります。
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