『隠秘哲学三書(De occulta philosophia libri tres)』は、ルネサンス期のドイツの人文主義者ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ(1486〜1535)がラテン語で著した、魔術と自然哲学の大規模な集成です。第1巻は1531年にパリ・ケルン・アントウェルペンで印刷され、全3巻がそろった版は1533年にケルンで刊行されました。書名のとおり全体は三つの書に分かれ、元素の世界に対応する第1巻が自然魔術、天界に対応する第2巻が天界魔術、叡智の世界に対応する第3巻が儀礼魔術(宗教的な魔術)を扱います。
占星術の事典として本書を取り上げる理由は、第2巻にあります。天体を観測する際の心得、惑星ごとの対応表、時刻の選び方、そして十五の恒星の一覧といった、占星術と隣り合う知識がここに集められているためです。本書は出生図の読み方を教える占星術の教科書ではありません。星と地上の事物が照応するという前提のもとで、当時の学識がどう整理されていたかを示す文献であり、本ページでもその位置づけを歴史上の事実として紹介するにとどめます。
アグリッパは1486年9月14日、ケルン近郊のネッテスハイムに生まれ、1535年2月18日にフランスのグルノーブルで没しました。ケルン大学に学び、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の軍に加わったのち、ドール大学やパヴィア大学で講義し、メスでは都市の顧問を務めています。医師として各地で働き、後年はアントウェルペンでオーストリア大公妃マルガレーテの宮廷に仕え、文書係と歴史記述官の職を得ました。
本書の草稿ができたのは1510年で、アグリッパはまだ二十代でした。これを修道院長ヨハネス・トリテミウスに献呈し、同年4月8日付でトリテミウスからの返書を受けています。トリテミウスは草稿を高く評価しつつ、こうした研究は伏せておくよう助言したと伝えられます。原稿はその後二十年余り、写本のかたちで回覧されるにとどまりました。1533年に印刷された版は、その間の読書によって分量がおよそ倍にふくらんでおり、マルシリオ・フィチーノやピコ・デラ・ミランドラ、ヨハネス・ロイヒリンらの著作からの参照が加えられています。一方で1530年には『学問と技芸の不確実性と空虚について』を刊行し、魔術を含む諸学問そのものへ批判を向けてもいます。この時代の知的な空気は
ルネサンスの占星術にまとめてあります。
三つの書の骨格は、世界を三つの層に見る当時の宇宙観に沿っています。第1巻は元素の世界を扱い、石・草・動物・人体に宿るとされた隠れた性質を、対応関係として整理します。第2巻は天界を扱い、数と調和、幾何学から説き起こして、惑星や恒星から地上の事物へ及ぶとされた影響を論じます。第3巻は叡智の世界を扱い、宗教・天使の位階・ヘブライ語の神名やカバラーに関わる主題へ進みます。
1651年の英訳で見ると、第2巻は60章からなります。第22章が惑星ごとの数表(いわゆる魔方陣)と、そこに割り当てられた名前を扱い、第29章から第32章が天体を観測する必要と恒星の性質を、第33章が月の二十八宿を扱います。第34章は「第八天球において観測されるべき天体の真の運動と、惑星時間の根拠について」と題され、
プラネタリーアワーの考え方が説明されます。第35章以降は像(イメージ)と印形をめぐる章が続き、第47章が「固定されたベヘニアン星の像について」です。
これらは護符づくりの手順と対応表であって、効き目を保証する記述として読むものではありません。
刊行の前後から、本書は警戒の対象にもなりました。ドミニコ会の異端審問官コンラート・ケリンが異端として告発したと伝えられ、1550年までにカトリック教会の禁書目録に収められています。それでも版を重ねた事実は、読者の関心の強さを物語ります。歴史家アンソニー・グラフトンは、本書を読み込んで余白に書き込みを残した同時代の修道士の例を紹介しています。
アグリッパの死から三十年ほどののちには、彼の名を冠した『第四の書』が出回りました。霊を呼び出す手順を記したこの書物を、弟子のヨハン・ヴァイヤーは偽作だと指摘しています。それでも「魔術師アグリッパ」という像は長く流布し、後世の受け取り方をゆがめる一因になりました。
英語圏に本書が本格的に入るのは、1651年にロンドンで刊行された英訳『Three Books of Occult Philosophy』からです。訳者はJ.F.のイニシャルでのみ知られ、ジョン・フレンチともジェームズ・フリークとも推定されています。この訳が出たのは、
ウィリアム・リリーが
クリスチャン・アストロロジーを英語で刊行した1647年の四年後にあたり、ラテン語に閉じていた専門知が英語へ開かれていく流れのなかにありました。英国のジョン・ディーが自身の記録で本書に繰り返し言及したことも知られています。
占星術史のなかに本書を置き直すと、
テトラビブロスから続く系譜とは別の流れに属する本だと分かります。テトラビブロスが天体の作用を自然学として説明しようとしたのに対し、本書は星と鉱物・植物・図像・時刻を結びつける照応の体系として星を扱います。
その違いがはっきり見えるのが
恒星の扱いです。第2巻が伝える
ベヘニアン恒星の十五星は、アルゴルやスピカ、レグルスなど夜空で目立つ星に、支配天体・宝石・植物・印形を割り当てた一覧です。名はアラビア語のバフマン(根)に由来するとされ、
アラビア・イスラームの占星術を経由した伝承の系譜に連なります。この一覧は現代の恒星占星術の資料にも引き継がれており、
アルカイドの項目で紹介される金星と月の対応はこの十五星の表に由来し、
アルゴルについてはプトレマイオス以来の土星・木星の性質がこの表でも踏襲されています。星座ごとに性質を割り当てる伝統とは系統が異なるため、同じ星に別の対応が伝わることもあります。
もう一つの遺産は、時を選ぶという発想です。像を刻む時刻を星の位置で選ぶ考え方は、
エレクショナル占星術や惑星時間の実践へと形を変えて残りました。現代では、護符づくりそのものよりも、どの星にどんな意味が託されてきたかをたどる文化史の手がかりとして読まれることが多いものです。
本書を知る意義は、ルネサンス期の占星術が単独の技術としてではなく、医学・自然哲学・宗教と地続きの知として営まれていたと分かる点にあります。星の配置を読むことも、石や草の性質を調べることも、行いの時刻を選ぶことも、同じ一つの体系のなかに並んでいました。現代の占星術はそこから切り出された一部分で、その来歴を知ると、いま手にしている恒星の対応表や惑星時間の並びが何の名残なのかが見えてきます。
版については、1651年のJ.F.英訳が長く参照されてきた基本のテキストで、原文はパブリックドメインとして公開されています。注釈つきで通読したい場合は、ドナルド・タイソンが編集した1993年のリューウェリン版(ISBN 978-0-87542-832-1)があり、2021年にはエリック・パーデューによる新しい学術的な英訳(Inner Traditions、ISBN 978-1-64411-416-2)も刊行されました。占星術の関心からは、第2巻の第29章あたりから第47章までを先に開くのが早道です。
天体の作用を自然学の側から論じた古代の理論書や、同じ17世紀に英語で書かれた実践の教科書と並べて眺めると、本書の立ち位置がつかみやすくなります。護符や儀礼の記述は、効果を期待して試すためのものではなく、星に何が託されてきたかをたどる歴史の資料として読むのが、この本との落ち着いた付き合い方だと思います。
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